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核再持ち込みの「密約」日本に結ばす 沖縄返還交渉を主導したキッシンジャー氏死去 


核再持ち込みの「密約」日本に結ばす 沖縄返還交渉を主導したキッシンジャー氏死去  玄関まで出迎えた佐藤栄作首相(左)と握手するキッシンジャー米大統領補佐官=1972年6月、首相公邸
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 1972年の沖縄施政権返還を日米が合意した69年11月の首脳会談で、核兵器撤去と日米安全保障条約の適用を意味する「核抜き本土並み」が返還条件となった。だがその際、有事には米軍が沖縄に核を再び持ち込むことを認めた秘密合意を結んでいた。密約の米交渉担当者が当時ニクソン政権で大統領補佐官を務めていたキッシンジャー氏だった。

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 65年8月、佐藤栄作首相(当時)は戦後の首相として初めて米施政権下の沖縄を訪ね「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって戦後は終わっていない」と訴えた。沖縄返還は当時困難視されていたため、佐藤氏は米中枢に独自人脈があった国際政治学者若泉敬氏を密使に立て、キッシンジャー氏との交渉に当たらせた。

 キッシンジャー氏は日米首脳会談前の69年3月、沖縄返還に関する覚書をまとめた。覚書では沖縄を返還すると日本の「非核三原則」によって核貯蔵ができなくなり、米国に大きな軍事コストをもたらすが、沖縄返還に対する世論の高まりや日本政府に対する政治的圧力を交渉に利用すれば、軍事コストを最小化する可能性があると指摘した。

 キッシンジャー氏は米軍部の説得のため、若泉氏に有事の際の核持ち込みを保証することを主張した。その結果、69年11月の日米首脳会談の際に両首脳の間で「秘密合意議事録」が取り交わされた。非核三原則に反する核再持ち込みを容認する内容だった。

 キッシンジャー氏は99年、初めて沖縄を訪れ講演会に参加した。沖縄返還について「復帰はアジアの軍事的配備で複雑な問題があったが、占領し続けると日米の友好関係の維持が困難になると判断した」と語った。 (梅田正覚)