12月25日に奄美群島が日本に復帰して70年の節目を迎えたよ。どのような歴史をたどったのかな?
第2次世界大戦後、日本は米国に占領されました。サンフランシスコ平和条約の締結により、52年に日本本土は主権を回復しましたが、沖縄同様に奄美群島と小笠原諸島は米国による統治が続きました。同条約の発効日である4月28日は日本本土から切り離された日として、沖縄では「屈辱の日」と呼ぶのに対し、奄美では「痛恨の日」と呼んでいます。
米軍統治下の奄美では本土への自由な往来が禁止され、物流も制限されました。生活に必要な物資が滞り、食糧不足は深刻さを増していきました。米軍の配給に頼る中、軍が食糧の値上げを発表し、住民はさらに困窮しました。
奄美の日本復帰を目指して51年に「奄美大島日本復帰協議会」が設立されました。復帰を求める署名活動では、2カ月足らずで14歳以上の住民99・8%の署名を集めました。断食で抗議するなど群島一丸となった復帰運動が展開されました。
53年8月8日、日本を訪問していたダレス米国務長官が、奄美群島の返還を発表しました。同年12月25日、奄美群島は終戦から8年を経て日本への復帰が実現しました。
島民の生活向上を目的に、復帰翌年の54年に奄美群島振興開発特別措置法(奄振法)が制定されました。道路や空港などのインフラ整備が進みました。一方、公共事業に重きが置かれた振興策は過疎や高齢化、国への財政依存を高めているとの課題も指摘されています。