女性登用をリードしてきたりゅうせきグループの富原加奈子さん(りゅうせき商事社長)。自身の仕事、家事、育児の経験から、今、経営者として感じるのは「そもそも、これまでの日本の働き方がおかしい」ということです。
これまでの「働き方」がおかしい
―例えば、これまでの働き方といえば、会議が長かったり、夜の付き合いがあったりとか。
そうそう、そこにスポットライトを当てないと、そもそも解決しないよね、って思います。男性は残業もあって、管理職になればば土日も夜もなんて当たり前だよ、というのは、これまで女性が家庭を支えてきたからできたこと。でも、女性が働きに出たら、それはできなくなる。そもそも「男性の働き方自体がおかしいでしょ」ということですよね。
そして、その解決策、手段は、女性から発せられるものなんじゃないかなと思います。女性は時間の使い方がうまい、子育てもあるからかもしれないけど、同時進行でいろんなことをやれる。お料理も家事もそう。それってすごいことです。仕事も同じで、先を見通して段取りすることなど、働き方のヒントになります。時間は短く、エンドは決めて中身はぎゅっと内容を濃くする。その方法をiPadのようなツールでカバーする、みたいなことができれば、男性も女性もみんなすごく楽になると思います。会社もそれを望んでいるんですよ。電通の件もありましたが、国も経営者もその方向に進む中、解決策はやはり女性かもしれない。女性から発せられることがこれまでの社会や価値観を変えられるかもしれない。今が「働き方改革」のすごくチャンスだと思います。
自分が経験したからこそ
―ご自身は、女性のロールモデルがいなくって、「時間で勝負していた」ということですが、最初に管理職になったのはいつごろでしたか?
りゅうせきでは、男女雇用機会均等法の何年か前にトライアルというか、方針を持って、ガソリンスタンドに女性係長を配置するという流れがありました。ガソリンスタンドに女性管理職が入ることで、サービスルームがすごくきれいになり、使いやすくなりました。経理の課長も女性の方がいらして、システム開発などばりばり仕事をしていました。その方達が一生懸命頑張ってくれて、世界を拓いてくれて。
私自身はその二番手、三番手の世代で、30歳の頃、まず総務の係長になって、その後、課長代理になりました。その時の係長たちが、50代の男性の先輩達で、こんなピヨピヨの私でいいのかと思いながら、「やらなくっちゃ」という気持ちが強くなりました。私がいる本社は、男性の先輩達がほとんどだったので、男性と同じように仕事をこなすにはどうすればいいかと考えていました。私はとろいので、かなり時間もかかったと思うし、時間をかけることで補っていました。
28歳で結婚して長男を出産するときは、育児休業はなかったんですが、次男の時に、会社が先行して育児休業を取り入れることになりました。人事の次長から「1年休んでいいよ」と言われ、「1年休んでいいということは、もう会社に来なくていいってこと!?」とびっくりしました。そんな制度は当時、聞いたことがなかったし、会社に帰ったら本当に席はあるのかしら、なんて思ったりして。期間が半年以上、1年以内ということだったので、もう一人、同じ時期に出産した同僚と一緒に半年とらせてもらいました。今思うと、会社は親身に考えてくれてたのに、申し訳ないことをしたと思います。(笑)
育休復帰の時に管理部の課長代理に昇進しました。本社のCI(コーポレート・アイデンティティ)や社名の変更、本社の移転40周年などが続き、泣きました。ああいう生活の仕方は、育休明けの人にさせちゃいけないなって思います。ただ、会社も分からないじゃないですか。当時は決して悪いように配置したわけではないので。私も分からないから「頑張ります」と言ったものの、結構イベントが集中して、すごく大変でした。明け方まで仕事をしていたこともしょっちゅうある。あ、あまり詳しく聞かないで(笑)
私はありがたいことに、主人の両親と同居だったので、夫と両親がいろいろカバーしてくれてすごく助かりました。でも、子どもとの時間がすごく少なかった。それは、今でも後悔しています。あの時に、もっと一緒に過ごす時間が欲しかった。だから、みんなにはもっと子どもと時間を過ごしてほしいと思うんです。
その経験が、今の後輩達へのメッセージの土台になっているんですね。
どんな仕事も「間に合わせる」ことは責任。ただ、もっと上手にやれればよかったと思います。でも、当時は経験値が上司にも私たちにもなかったから分からなかった。だからこそ、後輩の女性達には、上手に、知恵でもってやってほしいと思うし、今の時代はそれをよしとしてくれる。先輩が残っているのに先に帰りにくい、なんてあったけど、今なんてそんなのないじゃないですか。気付いたら、残っているのは私だけ、なんてこともありますよ(笑)。
〈プロフィル〉
富原 加奈子(とみはら・かなこ) 1956年生まれ、久米島町出身。獨協大学卒業後、23歳で琉球石油(現りゅうせき)入社。取締役事業開発本部長、りゅうせき常務などを歴任。趣味は旅行と映画。最近はフランス、ドイツ、イギリスなどヨーロッパから、国内の温泉まで旅をする。好きな言葉は「初心忘るべからず」。入社後すぐに、りゅうせき創業者で参議院議員も務めた稲嶺一郎氏の秘書を3年半経験。「今になって稲嶺一郎さんの言葉をよく思い出します」
~ 聞き手 ~
座波幸代(ざは・ゆきよ) 琉球新報style編集部。ダイバーシティーに興味があります。