2015年、20代の1人の若者が「音楽の街 コザ」で立ち上げた音楽フェスティバルがある。その名は「ODDLAND」。直訳すると「奇妙な国」。
広大な公園の敷地で行われるODDLANDは名前の通り、会場中がおとぎ話の世界から飛び出してきたような色とりどりの装飾で彩られる。出演者も全国各地から100組を超え、通りにはあらゆる店が軒を連ね、そこに1つの国が突如現れたような世界観を生み出す大型イベント。なんと入場無料で行われている。
他とは一線を画すフェスをつくった若者の名前は、玉那覇優(たまなは・ゆう)。自らもこだわり抜いた雑貨屋POGOTOWN(沖縄市)を営み、バンドマン、デザイン事務所、音楽レーベル、映像作家など多くの顔を持つ。そんなコザが生んだクセ者中のクセ者、玉那覇優という「人」を深く掘り下げるべく彼を直撃した。
「労働」というものはすごく苦手…
―いろんな肩書がある優さんですが、手始めに自己紹介をよろしくお願いいたします。
玉那覇優と申します。沖縄市で生まれ育って、30歳になりました。やっていることが多すぎて、何から説明していいかわからないですけど…(笑)
ざっと並べると、「POGOTOWN」という建物の中で音楽レーベルと、デザイン業、映像編集業などをやっています。あとはバンドをやったり、ODDLANDという音楽フェスティバルもやったりしています。とりあえず、こうなってしまった経緯から話します。
まず、僕は労働というものがすごく苦手で…(笑)。大体長くて半年、平均すると2カ月くらいで仕事を辞めたり、クビになったりばかりいて。雇われる方が責任も少なく楽なのは分かってはいるのですが、どうにも働くという事が向いていなくて、結局、人に雇われずにフリーランスという形でいろんな事をさせてもらっています。
「商業デザイン」よりも反骨心
高校を卒業してからは、デザインの専門学校に通っていました。デザインを学んでいた学生の時、「商業デザイン」というのが嫌で、授業は全く受けずに自分が作りたいものだけを作っていました。
そこで、同じ学校へ通う気の合う仲間で「チャンネルシックス」というグループを結成して、当時は写真作品を発表したりしていました。
こんなこと自分で言うと恥ずかしいのですが、当時、僕は妙に反骨心にあふれていて。一般受けを狙った商業デザインも、自己満足みたいなアート作品に対しても全然理解ができなくて。
誰がどうみても凄いというもの作ってやろうと言って合成写真のように見えるものを加工無しの人力で撮りためては、学校が主催するデザイン展などで勝手に自分たちの映像や写真作品をゲリラ展示していくという事をやっていました。
当然、そんなことをやっていたら賛否両論、いろんな意見がありました。でも、その当時批判されたら逆に燃えて「じゃあもう口出しできないくらいの良いものを作ってやる!」という気持ちになって、より創作活動に熱が入っていきました。
写真に始まり、映画を撮ったり、バンドを結成してみたり、それから創作活動以外にライブイベントを企画したり、ラジオ番組を持ったり、お店を始めたりというような、思い付いた事や興味がある事はひとつ残らずやろうと始めてしまっていて。相変わらずお金はなかったけど…(笑)。
その代わりに創作活動を続けていった中で知り合った人たちから、デザインの依頼を請けたり、PVを撮ったりして、食いぶちをつないでいました。そういう流れで、今につながります。
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コザが生んだクセ者中のクセ者 玉那覇優
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