<金口木舌>戦時下の沖縄刑務所


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 東日本大震災の時、検察官が「最初に逃げた」、身柄を拘束していた十数人を「理由なく釈放した」という国会答弁で森雅子法相が批判を浴びた。大臣の資質を問われ、安倍晋三首相は厳重注意した

▼釈放には理由があった。震災でライフラインが途絶え「安定的な取り調べ、身柄の拘束を続けるのに困難があった」と当時の江田五月法相が説明している。地域住民は不安を抱いたようだ
▼被害が広範囲に及ぶ大災害の時、大人数を預かる検察庁や刑務所の機能を維持するのは並大抵のことではない。沖縄刑務所は75年前の沖縄戦で困難に巻き込まれた
▼米軍による爆撃が始まった1945年3月末以降、刑務所職員45人、受刑者31人、職員家族45人の逃避行が始まった。職員と受刑者は助け合い、行動を共にしたという
▼戦後、沖縄刑務所に勤め、所長となった渡嘉敷唯正さんは「受刑者は自分の身の危険をもかえりみず、傷ついた職員を担架にのせ、沖縄の南の果てまで避難している」と著書で記した。立場を超えて極限状態で命を支え合った。この経験に学ぶことがありそうだ
▼コロナウイルス禍を受け、緊急事態宣言を可能とする特措法が成立した。「一気呵成(かせい)に思いきった措置を講じる」と首相は意気込むが、強引で恣意(しい)的な緊急事態宣言は国民を戸惑わせる。不安と混乱が広がる中で命を支え合う冷静さを保ちたい。