<金口木舌>沖縄の私小説


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 大城立裕さんから時折、メールをいただいた。エッセーである。しばらくすると本人から電話があった。「ちょっと書いてみたよ。載せてくれないかな」

▼15年ほど前の思い出だ。80代でパソコンを使いこなす進取の気性に驚いた。「うちなーぐちを打てるワープロがあればいいな」と話していたのを思い出す。小説、戯曲、評論と多方面で沖縄を表現し続けた大城さんが亡くなった
▼「沖縄の私小説を書いてきた」と語っていた。描かれた沖縄は矛盾を抱え、引き裂かれて一つの像を結ばない。敗戦の挫折と米統治のうっ屈がそうさせたのだろう。芥川賞受賞作「カクテル・パーティー」もその一つ
▼逆風を受けたこともある。海洋博に関わった1970年代半ばである。海洋博を問題視する勢力から批判を浴びた。多忙で作品数も減った。後年、「私は泥沼にはまった」と振り返った
▼今年5月に出た最後の作品「焼け跡の高校教師」で野嵩高校(現普天間高校)の教壇に立った自身の体験を描いた。敗戦後の開放感にあふれ、読んでいて心が和む。晴れやかな「沖縄の私小説」であった
▼膨大な蔵書は「大城立裕文庫」として県立図書館に収めたが、一部は首里の自宅に残した。「全部持って行くと妻がさみしがるんだよ」と話した時の笑顔が忘れがたい。沖縄の命運を見つめた人は、家族を優しく見つめる人でもあった。