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県サッカー協会名誉会長・トレセン導入の与那覇実さん、日本野球機構の審判長・冷静なジャッジの友寄正人さん 二人の学生時代とは 小禄高校(8)<セピア色の春>


県サッカー協会名誉会長・トレセン導入の与那覇実さん、日本野球機構の審判長・冷静なジャッジの友寄正人さん 二人の学生時代とは 小禄高校(8)<セピア色の春> 小禄高校サッカー部時代の与那覇実さん(左から3人目)=1966年
この記事を書いた人 Avatar photo 吉田 健一

 沖縄県サッカー協会名誉会長の与那覇実(73)は4期。サッカー協会が設立した1966年に入学した。高校時代から始めたサッカーの振興に人生の大半をささげてきた。

 4人きょうだいの次男として宮古島に生まれた。警察官だった父親の転勤に伴い、石垣や与那国など県内各地を転々とした。小学6年の時に那覇に移り、剣道を習うために真和志中学に進学した。

与那覇実さん

 高校は「確実に行けるところ」という理由で小禄高を選択。剣道部に所属したが、同級生が楽しそうにサッカーの話をしていたことと、体育の授業でサッカー部顧問だった与那覇高俊に褒められたことをきっかけに、サッカー部に転向した。仲間とボールを追いかける楽しさにどっぷりはまった。

 サッカー経験者が多い中で初心者とあって、誰よりも練習に打ち込んだ。猛練習のかいあって2年にはレギュラーに選ばれ、同年に行われた琉米親善高校サッカーリーグでの2連覇に貢献した。「運動能力に優れていたわけではなかったが練習は欠かさなかった」

 サッカーを続けるために琉球大学保健体育学科に進学したが、器械体操などサッカー以外の授業に苦労した。1年が終わる頃には大学に嫌気が差し、休学し、長野県白馬村のホテルでアルバイトに明け暮れた。ある日、今はなき母から「今復学しないと退学だそうです」と書かれたはがきが届き、急きょ沖縄に戻った。「母のおかげで卒業できた」と感謝する。

 大学卒業後は保健体育の教員として県内各地の学校を回った。苦労した大学時代の経験から、運動そのものが持つ醍醐味や楽しさを味わわせる「楽しい体育」に取り組んだ。同時にサッカー協会の役員として、将来有望な選手を発掘し、質の高い指導を行い経験を積ませる「トレーニングセンター制度」(トレセン)を導入するなど、沖縄サッカー界の底上げにも情熱を傾けた。これまでに心筋梗塞などによる2度の手術を乗り越えた。「サッカーがあったから、ここまでこれた」。人生とともに歩んできたサッカーに感謝の言葉をつづる。

 2014年から22年にかけて日本野球機構の審判長として、プロ野球界をけん引してきた友寄正人(66)は11期。冷静で泰然としたジャッジで知られた友寄のアンパイア人生は高校時代から始まった。

友寄正人さん

 1958年、那覇市出身。6人きょうだいの末っ子に生まれた。小学5年のある日、テレビから流れていた野球を見て、選手ではなく、審判が「かっこよく見えた」。

 進学した神原中では、友人に誘われるまま野球部に入ったが、通うことはほぼなく、「籍だけ置いていた」と苦笑する。友寄にとって野球はプレーするものではなく、審判を観察するものだった。中学生に上がる頃には、審判の動きだけで名前を当てられるほどに。

 小禄高は担任の勧めで進学した。高校2年の時、奥武山球場で行われた野球の試合に飛び込み、審判をしたいと直談判した。「たまたまそこに県野球連盟会長だった国場幸輝さん(故人)がいて、『あしたから来なさい』と言われた」

 同時期に知人の頼みで壺屋小の野球チームの監督を引き受けた。子どもたちのためにと、平日午後には学校を抜け出し、練習場を確保するため与儀公園に走った。「週に3~4日は学校を抜け出していた」。平日は監督、週末は審判と野球漬けの日々を送ったツケで、出席日数が不足したため3月1日の卒業式は参加できず、別室で追試を受けるはめに。それでも「3月23日に同級生8人で無事卒業できた」と笑う。

 沖縄国際大学に進学したが、2年の時に受けたプロ野球の審判の試験に唯一かつ最年少合格を果たしたことで、中退し、審判の道に進む。3年目で1軍の外審、8年目に球審を務めるようになった。日本シリーズには13回出場し、2009年にはワールド・ベースボール・クラシックでも審判を務めた。13年8月には歴代19人目となる通算3000試合出場を達成、現場を退くまでに3025試合に出場した。審判長という大役を離れた今も日本野球機構の野球規則委員として、野球規則のより良い改正などに取り組むとともに後進の育成にも情熱を傾ける。友寄の野球人生は今も続いている。

(文中敬称略)
(吉田健一)

 【沿革】

 1963年4月 開校

 68年4月 通信制課程開設式(77年に泊高に移転)

 70年7月 全国高校野球選手権沖縄大会で初優勝

 71年7月 弓道女子チーム九州総体優勝

 83年11月 九州地区吹奏楽連盟主催マーチングバンドコンテスト金賞

 87年11月 全国高校サッカー選手権沖縄大会優勝

 88年8月 全国高校総体ハンドボール男子で県勢初の全国制覇

 90年8月 全国高校総体空手道個人型優勝

 98年4月 コース制導入

 2004年4月 コース制一部改変

(QRコードから校歌を聞くことができます)