prime

<聴事(チチグトゥ)を求めて 組踊初演300年>96 地域と組踊(1) 166地区で40作品上演


この記事を書いた人 Avatar photo 外部執筆者

 組踊は1719(康煕58)年に尚敬王冊封の重陽宴にて初演された。創作をしたのは玉城朝薫である。したがって、組踊は国家によってその創作が計画され、初演についても、琉球国の意思決定によって行われたといえよう。その後、組踊は冊封の宴席に欠かせない芸能として上演された。1800年代になると『伊江親方日日記』にあるように、士族層の家庭内行事において上演されたり、金武良章の聞き書きからは日常的に稽古したりしている様子がうかがえる。

 さらに時代が下ると、真境名安興によると、大正~昭和初期には組踊の「朗読会」が行われていたようである。また、源武雄は「ふだんは同好の士が集まって組踊の朗読会をやったり、お産で夜とぎのある家々でも男たちは組踊の朗読をして秋の夜長を楽しんだ」とする。源がここで述べた出産に関わる「夜とぎ」は、島袋盛敏によると「ユウキ(夜起)」といい、島袋は「昔は子供が生れると、ユウキ(夜起)という行事があって、一週間の満産まで、毎晩組踊の朗読会を催したものである」と説明している。

 このように、組踊は近世琉球期の王府の儀礼(冊封)での上演を嚆矢(こうし)とし、王府上演のための日常における稽古、そして出産儀礼における「ユウキ」や、時代が下ると同好者による朗読会が行われていたということが分かる。

 また、組踊は地域の年中行事においても上演されている。代表的なのは多良間の「八月踊り」や竹富島の「種取祭」であろう。沖縄本島地域では旧暦8月15日を中心とした村芝居(地域によっては十五夜・村踊り・八月アシビなどともいう)や、西原町棚原の「酉年十二年まーるあしび」など、数年に一度行われる行事において上演される。

 県内における組踊の上演演目については、沖縄県教育庁文化課のまとめた「地域別分布一覧表」および、宜保榮治郎の「組踊分布一覧表」が詳しい。これらによると、多くの地域で旧暦8月の上演、その他では旧暦7月、旧暦9月、旧暦10月に上演していることが分かる。これらの表からは、県内の166の字(地区)で組踊が上演されていたことが分かる。現在も伝承している地域と、戦前、もしくは戦後に途絶えた地域もある。また、復活上演を果たした地域もある。そして、各地で上演されている組踊作品は40作品に及ぶ。筆者がまとめた「組踊異表題一覧」では73作品の組踊があるが、そのうち54・8%の作品が地域で上演されている、ということになる。

 数字の面から見ても、多くの地域で組踊が伝承されていることが分かる。現在も旧士族家で「朗読会」や稽古をしているという情報は持ち得ていないが、現状からは、組踊という演劇は、古典芸能としての伝承と、地域における伝承という大きく二つの柱で支えられているといえよう。

(鈴木耕太、県立芸大芸術文化研究所准教授)