戦前までに創作された組踊は筆者の調べによると、73作品あると分かっている(鈴木耕太「組踊異表代表一覧」『沖縄芸術の科学』35号参照)。前章で確認したのは、王府の上演が認められる作品を中心にした組踊本の伝播(でんぱ)である。しかし、現存する組踊の中には、地域で創作された組踊もある。
例えば、伊江島の「忠臣蔵」、多良間の「忠臣仲宗根豊見親組」、南城市大里字大城の「大城大軍」などがこれにあたる。また、これらの作品は現在もなお上演され、地域での伝承が認められる作品である。また、上演されていないが、組踊本に作品が見えるものがある。石垣島の『伊舎堂用八本組踊集』には「月之豊多」「身替忠女」「未生之縁」「北山崩」がある。また、宜野座村松田の組踊本には前半部が欠落した作品に池宮正治が命名した「黄金の羽釜・里川の子」がある。また、多良間にも宜野座村松田と同じく前半部が欠落した「桑の果報」が見られる。さらには台湾大学が所蔵する田代安定資料の中には「孝女鑑」と「孝女かたきうち」がある。
現存する組踊のうち、約3割の作品のみ王府上演が認められるが、残りの約7割の作品(49作品)は王府の上演が認められない。組踊は前述してきたように、王府の儀礼(冊封)の余興芸能として誕生したのであるため、王府上演が確認できない作品についてその謎を解き明かす必要があるが、そのヒントとなるものが、後述する地域における創作であると筆者は考えるのである。
地域で創作され、上演される組踊には、その地域にしか台本が存在しないという点に加えて、その地域の英雄が登場する作品が多い。また、『伊舎堂用八本』や田代安定資料に収録される作品は「読み物」としての作品傾向が強いように感じる。前者の特徴としては、上演される場(これは豊年祭などのまつりが主である)において、地域住民のルーツを語る英雄譚(たん)としての意味合いが強い。したがって祭りに奉納される芸能としてもそのような内容が好まれたことによって創作されたと考えることができる。後者については、『伊舎堂用八本組踊集』に見られる当該作品の役名が、それまでの組踊の役名と大きく異なること、田代安定は、組踊集に「沖縄小説集」と題を付していることから、組踊を戯曲ではなく「小説」、すなわち読み物として解していることからうかがえるのである。田代の蒐集(しゅうしゅう)した組踊は、『伊舎堂用八本組踊集』と同じく、他の組踊集や組踊本に見られない作品が多い。このように地域で創作された組踊と同じ特徴を有しているのである。地域における組踊は、このようにオリジナリティーを多分に含んだ作品であるが、その基本となるのは王府上演の組踊の世界なのである。
(鈴木耕太、県立芸大芸術文化研究所准教授)