「団結なくして勝利なし、団結なくして解決なし」と労働裁判の先頭に立って闘ってきた、わが沖縄出身の宮里邦雄弁護士が今年2月5日に亡くなられた。享年83歳だった。
宮里弁護士は、全国組織として労働者の人権や権利擁護の活動をしている、日本労働弁護団の会長として裁判闘争をけん引してきた。
本書は、共に活動してきた弁護士たちが編集委員会を立ち上げ、生前の宮里弁護士の裁判内外での語録をまとめたもので、多くの人から敬愛されていた宮里弁護士の人となりが温かく伝わってくる書である。
宮里弁護士は宮古島で生まれ、宮古高校を卒業し、復帰前の琉球政府の国費自費制度で合格して東大法学部へ進学した。司法試験合格後、東京で弁護士登録し、宮古の「アララガマ精神―不撓(ふとう)不屈の精神」を支えとして弁護活動に精励された。
東京を拠点に弁護活動に駆けずり回っていた宮里弁護士の心は、ひと時も「沖縄・宮古」という古里から離れることはなかったのであろう。その想いをこう述べている。「『ふるさとは遠きにありて思ふもの』と金沢出身の詩人室生犀星(さいせい)は詠んだが、ふるさとを離れて63年、沖縄育ちの我が身にとって沖縄はいつも離れ難き存在であったし、これからもそうあり続けるだろう」。沖縄弁護士会報に寄せられた熱い郷土愛である。
その象徴が、大田昌秀県知事による代理署名拒否事件の際の最高裁での弁論である。1996年7月10日、宮里弁護士は「米軍基地の重圧に苦しむ『沖縄の痛み』を軽減することこそ、国民的合意として形成されつつある『公益』の重要な内容であるといえるのではないでしょうか」と論陣を張った。
くしくも去る10月30日、玉城デニー知事が福岡高等裁判所那覇支部における職務代執行裁判で主張した「公益論」と同様な主張が27年前、宮里弁護士によって最高裁で展開されていたのだ。
天国の宮里弁護士は玉城知事の闘いを、今の沖縄を、どういう思いで眺めているのであろうか。
(池宮城紀夫・弁護士)
みやざとくにおごろくへんしゅういいんかい 海渡雄一(弁護士・東京共同法律事務所)、棗一郎(弁護士・旬報法律事務所)、秦雅子(弁護士・東京共同法律事務所)、花垣存彦(同)、木下徹郎(同)、中川亮(同)