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<書評>『伊波月城集〈近代沖縄〉言論人の航跡』 ユーモアと熱い言葉と


社会
<書評>『伊波月城集〈近代沖縄〉言論人の航跡』 ユーモアと熱い言葉と 『伊波月城集〈近代沖縄〉言論人の航跡』伊波月城研究会編 沖縄タイムス社・6050円
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 この本に出合うまで、私は伊波月城について「伊波普猷の弟」という程度の認識だった。

 本書は、2007年にスタートした伊波月城研究会が10年以上かけて、様々なペンネーム(「かなまゝき」、「エフケアイ生」、「一新人」など分かっているだけでも11種類、さらに無署名の記事もある)を使い分ける月城が書いた文章を探し出し、同定し、細やかな脚注をつけ、作り上げた著作集である。

 その内容は、1905年(明治38年)から1924年(大正13年)にかけて発表された琉歌、翻訳した小説、そしてエッセーなどである。読み進めていくと、月城という人物は情熱家で、ユーモアがあって、すごくチャーミングな人だったのではないかと感じた。

 例えば、エッセー「床屋にての一時間」(1911年10月13日)は、「頭が重いので床屋に行った。今日のように、あたまの重いことはめったになかった。髪の毛があまり長くのびたせいかも知れないが、昨夜の痛飲の御蔭ともいえないことはない。実に酒は恐るべきものである。」という書き出しで始まる。「いや、それは二日酔いでしょ」とつっこみながら読み進めていくと、「人間は、どうせいつかは死ぬる身である。しかし、時代という砂の上に、自己の足跡をのこさずして死ぬのは、人間として生まれた甲斐がないと思われる」と、急に熱い言葉が出てくるのだ。「編輯(へんしゅう)の後」(1912年6月19日)では「盲従は、即ち死である」、「粗枝大葉」(1912年12月9日)では「何時までも、古い思想に囚えられていては、終に文明の進運に伍することの出来ない、落伍者となるより外はあるまい、思わざるべけんや」と結ばれる。

 伊波月城の言葉は時代を超えての私たちに突き刺さる。その言葉にきっと鼓舞されるはず。そして、「駄洒落抔も必要だ。真面目腐っては意志の疎通も何もあったもんではない」(「粗枝大葉」、1912年7月17日)という月城のユーモアを楽しんでほしい。

(山城彰子・北中城村教育委員会生涯学習課文化振興係会計年度任用職員)


 いはげつじょうけんきゅうかい 比屋根照夫(琉球大名誉教授)、小屋敷琢己(琉球大教授)、松浦雅子(北中城中教諭)、崎原綾乃(琉球大付属図書館事務補佐員)