復活した花織 未来につなぐ 読谷山花織事業協同組合


復活した花織 未来につなぐ 読谷山花織事業協同組合 (前列左から)最年長のうちの2人で、ともに89歳の松元セツ子さんと楠元キクさん、(後列左から)後継者育成に参加する上原春香さん、宮城邦江さん、案納美和子さん=読谷村座喜味の読谷村伝統工芸総合センター 写真・村山望
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色糸が生み出す幾何学模様

読谷村座喜味にある石造りの建物に入ると、小花のような幾何学模様があしらわれた織物が展示されている。「読谷山花織」は読谷地域で発達したものの戦後衰退。村内の有志たちの尽力により1960年代半ばに復活した。着尺や帯の他、現在の暮らしに合わせて小物などの製作も行っている。同組合では、花織の展示・販売の他、後継者育成を行っており、つながれてきた技術の普及・継承の促進に取り組んでいる。

読谷村で織られてきた「読谷山花織」。その歴史は約600年前にさかのぼり、大交易時代に東南アジアから伝わってきたといわれる。読谷地域で独自に発達していったものの、明治以降衰退。忘れ去られようとしていた。

その途絶えていた技法をよみがえらせたのが、読谷村に住む有志の人たち。すでに織り手がいない中、聞き取り調査や残っていた実物を頼りに再現を目指した。後に人間国宝となる故・与那嶺貞さんが中心となり1964年、約90年ぶりに現在の読谷山花織が復活した。今では国の伝統的工芸品に指定されるなど読谷村を代表する織物として知られている。

「幻の花織」が復活

「読谷山花織愛好会」を経て、76年に設立された「読谷山花織事業協同組合」は、伝統工芸総合センターでの展示・販売やコースター作りなどの体験の他、県内外の催事への参加など普及活動、品質管理、後継者育成を行っている。組合員は105人所属しているといい、現役で活動しているのは30代~89歳の約70人。多くの織り手は波平、座喜味、楚辺にある3カ所の共同工房で作業を行っているという。

幾何学模様が特徴の読谷山花織。近年は淡い色がベースになった花織も増えている
幾何学模様が特徴の読谷山花織。近年は淡い色がベースになった花織も増えている

幾何学模様が特徴の花織は、緯糸で模様を表す「緯浮(よこうき)花織」をはじめ4つの織り技がある。色糸を使い、銭花(じんばな)、風車花(かじまやーばな)、扇花(おーじばな)の3種の基本柄を組み合わせていくという。

糸染めから織りまで、一人の織り手が一貫して手作業で行っている。「準備だけでも1カ月ほどかかると思った方がいいかもしれません」と話すのは製織の作業を披露してくれた理事長の下里直美さん。手間がかかるが「自分が織ったものをどこかで誰かが購入して、大事にしていただいているというのがうれしい」と話す。

経歴40年を超える経験豊富な現役も活躍中だ。糸染色や細かな作業が難しい高齢の織り手は、負担の少ないコースターやテーブルセンターなどの小物類を織り続けている。

コースターなどの小物も取り扱っている

伝統を学び受け継ぐ

組合では、次世代につなぐため読谷村在住者を対象に毎年後継者の育成を行っている。今年度の生徒は3人。2人の経験者が講師となって指導している。生徒の一人・読谷村出身の上原春香さんは「花織は読谷の伝統。後継者育成のことを知り、やってみたいと思いました」と参加した。生徒の3人は「染めるのが大変」と口をそろえるが、作業は楽しいと充実している様子だ。

後継者育成に参加する3人、淡い色の着尺を製織中
後継者育成に参加する3人、淡い色の着尺を製織中

若手の後継者不足などの課題がある一方で、花織は全国でも高く評価され、特に県外の呉服問屋からの着尺の需要は多く、供給が追いつかないという。

最近は現代の好みに合わせて淡い色ベースの商品も増えてきた。着尺や帯の他にも、テーブルセンターやコースター、小銭入れなどの小物類などの商品も開発。伝統を生かして現代の暮らしに合ったアイテムもそろえて、振興に取り組んでいる。時代の変化に対応しながら、伝統の花織をつないでいく。

(坂本永通子)

コースターやストラップなどの小物も取り扱っている
コースターやストラップなどの小物も取り扱っている

読谷山花織事業協同組合

読谷村座喜味2974-2(伝統工芸総合センター)
TEL 098-958-4674

※体験は要予約

http://www.yomitanhanaori.com/

(2024年1月25日付 週刊レキオ掲載)