又吉栄喜作品を読むと時折、迷子になる。自分の居場所が分からなくなる。時折怖くなる。足がすくんで動けなくなる。もしかしてその先には魑魅魍魎(ちみもうりょう)が潜んでいるのかも知れない。
本書の副題には「又吉栄喜をどう読むか」とある。「どう読むか」と突き放すように提起しておきながら、実際にはやさしく手を差し伸べ、丁寧に道案内してくれる。誘われるままに歩を進めると、魑魅魍魎どころか、そこはカラリと明るく、どこかしら懐かしい世界が広がっているのだ。
本書の序章は「又吉栄喜は、私にとって畏敬の人だ」の一文から始まる。その上で又吉の作品世界がどのように構築されていったのかを、処女作「海は蒼く」から丹念にあぶり出していく。大城貞俊は彼の全作品を読み込み、芥川賞をはじめとする各文学賞の受賞インタビュー記事やエッセー「時空超えた沖縄」などから、彼のこぼした言葉のひとつひとつ(謎かけのようなそれはまるで生きているかの如(ごと)くぴょんぴょんと弾け飛ぶ)を根気強く拾い集め、創作動機、背景、対象、文体、技法などを明らかにし、その神髄に肉迫する。
沖縄文学を代表する作家・又吉栄喜がなぜ物語を書くのか、書かずにいられないのはなぜか。さらに彼がどのようにして物語を紡いでいるのかを、本書は惜しげもなく明らかにする。多くの示唆を与えてくれる。
また又吉の文学のみならず、その向こうにある文学全般においても、識者らの論考を列挙し文学についての熟考を重ねる。文学における「土地」とは何か。「記憶」とは、「死者」とは。
生者と死者。対極にあるはずの両者がたやすく繋(つな)がれていく。それを体現しているのが又吉作品であり、それを可能たらしめるのが沖縄という土地の磁力だ。
大城は、沖縄を愛し慈しむように書く又吉栄喜のことを、人間愛に満ちた作家だとしている。私に言わせてもらえば、大城こそ人間愛に満ちた作家である。又吉を筆頭とする沖縄文学を、いや、文学そのものを愛する彼の温かな眼差しが本書全般に溢れている。
(富山陽子・作家)
おおしろ・さだとし 1949年大宜味村生まれ。元琉球大教授。詩人、作家。高校教師を経て2009年琉大に採用される。主な著書に小説「椎の川」「一九四五年 チムグリサ沖縄」「父の庭」など。