戦後、所在が分からなくなっていた琉球国王の肖像画「御後絵(おごえ)」をはじめとする文化財が米国で見つかり沖縄県へ返還され、研究者や返還作業に携わった関係者から驚きと喜びの声が上がった。一方で米連邦捜査局(FBI)の盗難美術品ファイルに登録された13件の文化財のうち今回返還されたのは2件。琉米歴史研究会理事長の喜舎場静夫さん(73)は、ファイルへの登録だけでは全ての文化財の返還にはつながらないとし、県によるより積極的な働きかけが不可欠だと助言した。
御後絵を巡っては、戦前に実物を確認した故真栄平房敬氏の証言で約20枚あったことが分かっている。県史などに記録されている同氏の証言によると、戦前、王家伝世の宝物は中城御殿(なかぐしくうどぅん)に保管されていたが、米軍上陸前に敷地内の安全だと思われる場所に移された。1945年4月に同氏は焼失した中城御殿跡地で御後絵の無事を確認し、岩陰に隠して南部へ避難したが、戦後再び訪れると宝物はなくなっていた。複数の資料で、これらの文化財は米軍が持ち出した可能性が高いことが指摘されている。
琉球絵画研究所代表の佐藤文彦さん(58)は「実物ほど価値あるものはなく、琉球絵画史の研究が大きく進展する」と返還を歓迎する。佐藤さんは90年から鎌倉芳太郎の写真や文献を基に御後絵の推定彩色に取り組んできたが、国王の服装の色一つを取っても研究者間で意見が分かれるほど、詳細不明の部分が多かったと説明する。自身も「想像力を膨らませながら独自の解釈で復元するしかなかった」と振り返り、今後は特に色彩の研究が加速することで、琉球王国時代に関する新たな史実が一つでも多く解明されることに期待を寄せた。
琉米歴史研究会の喜舎場さんは「沖縄の宝が戻ってきて、素晴らしい沖縄の歴史に関心が集まる」と喜んだ。
喜舎場さんは流出文化財を取り戻すために、2000年に当時のマデレーン・オルブライト米国務長官に手紙を送るなどして働きかけてきた。オルブライト氏への手紙をきっかけに、米側が沖縄県から3人を招待し、今回の発見につながるFBIの盗難美術品ファイルへの登録が実現した。
(当銘千絵、南彰)