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<聴事(チチグトゥ)を求めて 組踊初演300年>109 地域と組踊(14) 他の作品熟知して創作


<聴事(チチグトゥ)を求めて 組踊初演300年>109 地域と組踊(14) 他の作品熟知して創作 組踊「護佐丸敵討」の一場面=2024年1月、浦添市の国立劇場おきなわ
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 組踊が創作されるというプロセスには、以下の二つを指摘することができる。一つは「引用・引句」という手法を用いて先行作品よりある部分を倣うことで組踊を創作するという方法である。この方法は田里朝直によってはじめられ、田里朝直以降の組踊作品は音曲や詞章、場面など、先行作品の印象的な部分を「引用・引句」することで、創作される作品の結末を暗喩したり、場面のイメージを膨らませたりしていることが指摘できた。もう一つは作品独自の展開や世界、あるいはほかの芸能(能楽のような大和芸能、もしくは琉球芸能)からの影響、さらにオリジナリティーあふれる表現が織り交ぜられていることが指摘できた。これら二つの方法を基に組踊の作品世界は成り立っていると言えよう。

 この「引用・引句」の事例を言い換えると、組踊作品の中で詞章や音曲、場面が「引用・引句」されている数が多い作品は、組踊の作者たちが組踊の中で優れている表現であると認めている部分であると考えることができる。あだ討ちが主題の作品であれば、玉城朝薫の「護佐丸敵討」や朝直の「北山敵討(本部大主)」がそれに該当する。「引用・引句」が多い作品はすぐそれが模倣であって駄作である、という意味にはならない。むしろ「引用・引句」の多い作品を生み出した作者は、多くの組踊作品を知っていることにほかならないからである。

 筆者が確認したところ、現在73作品ほどある、戦前までに創作されたと思われる組踊作品(筆者はこれを「古典組踊」と言うこともある)には、「引用・引句」のみで創作された作品は見られない。必ずもう一つのプロセスであるほかの芸能からの影響やオリジナリティーあふれる表現がふんだんに用いられている。時代が下れば先行作品が増え、オリジナリティーの部分が複雑で難しくなっていくと考えられる。だが、驚くべきことに、組踊の作者たちはほかの組踊作品を知り尽くしているかの様(よう)に、主人公が異なるだけで作品内容が全く同じである作品、いわば「異題同作」(これは異表題を持つ同作品ではなく、タイトルや登場人物名が異なるが同じ内容の作品のこと)的な作品は存在しない。

 王国時代末期に創作されたと思われる作品や、王府上演に供されたことが証明できない作品の多くはせりふ劇に傾倒していて、1作だけを見るとドラマ性が乏しく感じたり、「引用・引句」から作品に既視感がまとわりついたりする様に思える。だが、実際に組踊全体の作品を知ることで、これらの作品が他の組踊作品にはないオリジナリティーを持っていることを知ることができるのである。以上から、近世~戦前の人々は多くの組踊作品の内容を熟知する環境で新たな作品を創作しているという状況だったと推察できないだろうか。

(鈴木耕太、県立芸大芸術文化研究所准教授)