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<聴事(チチグトゥ)を求めて 組踊初演300年>113 組踊における話芸(3) マルムンの詞章に滑稽さ


<聴事(チチグトゥ)を求めて 組踊初演300年>113 組踊における話芸(3) マルムンの詞章に滑稽さ 「大川敵討」で間の者として登場する泊=2019年3月、那覇市の琉球新報ホール
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 組踊作品において、「話芸」といってすぐに想像されるのは「マルムン」であろう。「マルムン」は劇中に登場し、作品の前後の状況を整理して観客に伝えることを目的とした役柄で、そのせりふは組踊の多くの役柄のような一定の抑揚を持ったリズムではなく、せりふのスピードに緩急があり、抑揚も感情に合わせて変化する。中でも重要な特徴は組踊の詞章は基本的に琉球古典語の韻文であるが、「マルムン」は散文体であるという部分である。

 この「マルムン」という役柄名について矢野輝雄は「間の者という言葉の出どころは、間(アイ)のモノ(者または物)から出たことをうかがわせる言葉である。それが組踊の中で喜劇性を帯びた役であり、俗語を用いる特殊な存在である」と「沖縄芸能における狂言の影響を中心に」で述べている。「マルムン」の組踊作品における「喜劇性を帯びた役」についてもおおむね異論はないが、筆者は「マルムン」は単に滑稽身を帯びた「喜劇性」だけではない、と考えているため、これについては別の稿で言及したい。ともかく、「マルムン」という言葉について矢野は「間(アイ)のモノ(者または物)」という見解を示しているが、筆者は「アイノモノ」の漢字表記「間者」をそのまま琉球語で読んだ名称、つまり「間」を「マド」、「者」を「モノ」と読んだ「マドモノ」が変化(ドのd子音とr子音の交換、モノの音韻変化ムン)して「マルムン」となった可能性も考えている。

 組踊において初めて「マルムン」が登場する作品は「義臣物語」であると考えられる。作品中登場する「夜廻り」という役が「マルムン」の嚆矢(こうし)であろう。この役はちょうど前半の高嶺按司のつらい逃避行から国吉の比屋との再会と、後半の鮫川城への火責めと高嶺の再興という結末の「間」に単独で出てくる。前述した「マド」には「あき間、すき間」の意があるため、前半と後半のちょうど「あき間」、つまり「マド」に登場する者として「マドモノ」と称し、今日「マルムン」と称していると考えられるのではないか。

 さて、「マルムン」の語源についての考察はこれくらいにして「話芸」に戻ろう。「マルムン」の嚆矢と考えられる「夜廻り」の詞章は以下のようなものである。

 けふや北風も かう〳〵立ひ、夜廻り念入りよてやり 按司のみよんきことやれは、おとろしやゝあても 先急ちとふら、あけちやめやう、米蔵はい、〳〵、けふや北風や かう〳〵立ひ、起て居ちをれ、おふほゝん、はひたか〳〵たかては、あゝまやあさめ、代官はい、〳〵、起て居ちをれ、おふほゝん、はひのふもあらぬさめ、

 まず一線部は擬音語が用いられ、蛍光黄色部は「アキサミヨー」という感動詞、破線部は咳(せき)払い、そして夜廻りが驚いてしまった「モノ」は蛍光赤色部の「マヤー」、つまり猫である。一読しただけで滑稽さを感じさせる詞章であることがわかる。

 (鈴木耕太、県立芸大芸術文化研究所准教授)