1961年10月、私は千葉県にあった竹岡養護学園で2度目の5年生をやり直すことになった。それが入園するための条件だったと聞かされたが、私は心に深い傷を負い無口な少女になった。学園には四つの寮があってそれぞれに寮母さんがいた。寮と廊下でつながった教室には担任の先生がいた。
1年ぶりの勉強は楽しかったし、手作りの3度の食事はおいしかった。育ち盛りだった私は、お代わりの常連だった。が、ある日、父から寮への入金が途絶えたことを知って、申し訳なさからお代わりをやめた。
2日後、担任の山下先生からグラフ作りのお手伝いを頼まれた。大きな模造紙に園児の体重と身長を書き入れていた先生は「さなえちゃんは良い子になりたいですか?」と私に聞いた。私がうなずくと先生は「良い子はね、たくさんご飯を食べて、お代わりをする子なんだよ」とおっしゃった。「お代わりをしてもいいんだ」と、先生の優しさに胸がいっぱいになった。
日記帳に「きょうもいじめられた」と書いた次の日、先生は「いじめを知らなかった僕が悪かった」と私に頭を下げてから「でもね、ここにいる子たちはかわいそうな子が多いんだよ」ともおっしゃった。私は初めて、自分だけの世界から、友達の世界を見るようになった。西日の当たる図書室にいた私に、先生は石川啄木の本を「僕の愛読書」と渡してくれた。それから、啄木の本は私の心の支えになった。
ある日の夕食で、私は空になったお茶わんから先生へと視線を移した。先生がうなずいてくれた。私は勇気を出してお代わりに立ち上がった。私の人生で一番幸せな日々だったかもしれない。
小学校教員を経て1987年児童文学作家デビュー。著作は60冊。幼少期にホームレス同然の暮らしを送った体験記も出版。元埼玉県教育委員長。現在は沖縄在住。50年生まれ、東京都出身。