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首里劇場 戦後混迷期 体現した建物 <沖縄まぼろし映画館>163


首里劇場 戦後混迷期 体現した建物 <沖縄まぼろし映画館>163 建物調査を行う普久原朝充さん(左)と玉城盛太さん(撮影:平良竜次)
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 4月9日に「首里劇場」の金城政則館長が急逝してから8カ月。後継者の不在と建物の老朽化で再開の目途は全く立っていない。取り壊しの可能性も拭いきれない。

 しかし、「首里劇場」は地上戦の惨禍がいまだ残る1950年に開館して以来、72年にわたって営業を続けてきた、沖縄に現存する最古の芝居小屋兼映画館である。歴史・文化的価値の高い存在を、朽ちるに任せるのはあまりに惜しい。せめて記録という形で後世に残せないものか? そこで、劇場を愛する各分野の専門家で結成した「首里劇場調査団」が、公益財団法人沖縄県文化振興会の支援のもと7月から調査事業をスタートした。ちなみに筆者もその1人で、副代表を務めている。

 事業は多岐にわたる。内覧会にはこれまで350人余りが参加。その中には劇場の舞台を踏んだ沖縄芝居関係者や、ここで映画や芝居を見たという人も多く、貴重なエピソードを聞き取りしている。また、当時の新聞から首里劇場で行われた映画や沖縄芸能の広告や記事を収集・記録。他に3Dおよび360度カメラを使って建物各所の詳細な撮影を行った。

 特に進展著しいのが、建築家の普久原朝充さんと玉城盛太さんによる建物調査だ。例えば綿密な現地調査の過程で、舞台裏の木造の軸組みに「り三十六」や「る三十一」などの文字が書かれているのを発見した。これは「いろは」文字と漢数字を組み合わせたもので、大工が木を組む場所を示すために書き入れた通し番号である。これを逆算することで、どこが最初に建てられて、どこが増築されたのかを推察できるようになった。

 さらには、尺貫法によって建てられた木造部分を囲むように増築されたコンクリートブロックが、現在の日本工業規格(JIS)ではなく、ヤード・ポンド法による8インチブロックであることをつきとめた。「首里劇場」は戦前からの尺貫法と、島を占領した米軍が持ち込んだヤード・ポンド法、メートル法がチャンプルーされた、戦後沖縄の混迷期を体現した建物だったのだ。

 他にも、舞台裏にあるレンガ造りのかまどが作られた時代背景や、劇場西側のコンクリ壁の仕上げが大宜味村旧役場(1925年)の工法に似ていることについての考察など、興味深い内容が次々と報告されている。これらの成果は「首里劇場調査団」のWEBサイトに随時アップしているので、ご覧になっていただきたい。

 (平良竜次、シネマラボ突貫小僧・代表)
 (當間早志監修)
 (第2金曜日掲載)