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ペリー劇場 小禄小の学芸会で使用 <沖縄まぼろし映画館>185


ペリー劇場 小禄小の学芸会で使用 <沖縄まぼろし映画館>185 赤い矢印の先が「ペリー劇場」(上原隆昭さん提供)
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 前回、小禄のカメラ店「たかちよ商会」の上原隆昭さんが撮影した写真を紹介した。那覇市山下町にあった「港劇場」(後の「ペリー劇場」)が写っており、その奥に見える奥武山周辺の状況から、1957年より前の撮影であると推測した。

 今回の写真も上原さん撮影で同劇場が写っている。その後方の森は奥武山で、その左に前回なかった陸上競技場のスタンドが写っているので、65年7月の竣工(しゅんこう)以降だろう。劇場も変化があり、屋根が増えている。増改築を機に改称する劇場が多いことから、「港劇場」もそれを契機に「ペリー劇場」に名を改めた可能性がある。

 改称時期は定かではないが、57年5月18日付琉球新報に掲載された、配給会社「国映」の配給問題の声明文告知の中に「ペリー劇場」と経営者・嘉数清助(正しくは賀数)の名が記載されていることから、それ以前に改称したのだろう。

 なぜ「ペリー劇場」なのか。それは戦後に山下町がペリー区という名に改められたことに由来する。なお、地域名は57年頃に元の山下町に戻された。

 「ペリー劇場」は芝居や映画の他に地域行事でも活用された。『小禄中学校創立50周年記念誌』には、68年11月30日に学習発表会が行われたと記載。情報サイト「うるくニッポン放送」の高良広輝さん(60年生まれ)は、小禄小学校3~4年生の時に学芸会を行ったという。「歴史劇で私は武士役。学校でチョンマゲのかつらをかぶって、劇場まで歩いて行きました」

 劇場の経営者の家族によると閉館は69年頃。その後は劇場の一部を使って「ペリー保育園」が営まれた。73年には改築して保育園とアパートの複合ビルに。劇場の一部は外壁として残されていたが、2010年に建て替えのために取り壊された。

(平良竜次、シネマラボ突貫小僧・代表)
(當間早志監修)