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本部琉映館 1966年までは営業、面影なく <沖縄まぼろし映画館>167


本部琉映館 1966年までは営業、面影なく <沖縄まぼろし映画館>167 1979年の「本部琉映館」 (撮影:岡本尚文)
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 先日、写真家の岡本尚文さんが自身のSNSに「本部琉映館」の写真を投稿しているのを目にした。本部町の渡久地港近くにあった劇場である。

 「撮影したのは1979年。高校3年生で初めて沖縄を訪れたときです。たしか本部港から伊江島に渡る前後に寄ったと記憶しています。もう営業していなかったと思います。廃虚に近い感じでした」

 「本部琉映館」の前身は「本部劇場」。「演劇と映画 5月号」(50年発行)の劇場リストにその名が載っており、創業年月日は48年4月18日とされている。共同経営で代表は山城宗章。うるま新報の51年正月号に掲載された広告では代表者は仲宗根源英に。琉球政府の「興行場営業許可台帳」に56~72年にかけて提出された書類が残されており、ここでは真喜屋実光(もしくは実行)となっている。

 やがて配給チェーン琉映貿の傘下に入ったことで「本部琉映館」と改称。54年3月13日付琉球新報の琉映貿の広告に「本部劇場」のまま「新築中」と書かれていることから、その頃から「本部琉映館」と名乗り始めた可能性が高い。また、56年の旧正月の時期に撮られた写真では琉映貿のマーク「REB」が正面に大きく掲げられている。

 一方で、前述の「興行場営業許可台帳」には、56年の申請書で「本部琉映館」と記載されているが、58年以降は「本部劇場」に戻ってしまっている。他にも59年正月まで新聞の広告や記事に「本部劇場」の名称で掲載されていたりする。

 さらに不思議なのが65年1月18日付の琉球新報に掲載された「きょうの映画」。劇場名は「本部琉映館」と記載されているが、琉映貿のライバルである国映が配給している東宝の『三大怪獣 地球最大の決戦』と『花のお江戸の無責任』を上映しているのだ。

 推測だが、当時、地方館ではその地域にライバルの配給系列館がない場合は、それらの作品も一手に引き受ける場合もあったので、この劇場もそのパターンだったかもしれない。もしくは、琉映傘下から抜けて「本部劇場」に戻したが、すでに「本部琉映館」の名称で認知されていたので、そのままにして営業を続行…ということもあり得る。

 閉館時期だが、66年6月30日付琉球新報の「きょうの映画」に「本部琉映館」として載っており、少なくともその時期までは営業していたのが分かる。劇場のあった敷地は現在、本部郵便局が建っており、当時の面影は残っていない。

 (平良竜次、シネマラボ突貫小僧・代表)
 (當間早志監修)
 (第2金曜日掲載)