ここに1枚の写真がある。かつて配給会社「琉映貿」だった株式会社ビガロより提供いただいたものだ。「琉映貿」のロゴ「REB」が掲げられていることから、琉映系の劇場であるのは分かるが、館名が見当たらないために場所が不明であった。ところが、今年5月に行った「嘉手納館」の取材中、「かでな未来館」に展示されている「嘉手納琉映館」の一部が大写しになった写真を見た本稿監修の當間が、前述の不明写真と酷似していることに気づいた。諸々検証したところ「嘉手納琉映館」であることが判明した。
「嘉手納琉映館」は国道58号比謝川近く、現在の「嘉手納町商工業研修等施設」の敷地に存在した映画館である。開館は1953年6月28日。60年発刊の地図帳「中部主要商工案内」を見ると、周囲に「料亭きんぐ」(劇場正面の右側の高台を上がったところ)や「名嘉医院」、「赤池歯科医院」が建っていたのが分かる。
撮影時期は、劇場に掲げられた映画看板『女の一生』と『愛人』から54年2月頃だと推測した。開館の翌年である。
琉球政府の「興行場営業許可台帳」の申請内容によると、入場者定員は530人。2階席がある。経営主は上間久雄(後の嘉手納町議員)。「嘉手納町史」の「嘉手納琉映館」を紹介した箇所でも彼の名が記されている。一方で、別ページの劇場関係者座談会では「上間四郎氏が琉映館を建てて経営していました」(古堅光健・嘉手納沖映館主)と、別人の名前が挙がっている。複数名で経営していたのかもしれない。
開館時は折しも空前の時代劇ブーム。「琉映貿」は時代劇を大量に作っていた東映を配給しており、「嘉手納琉映館」は大繁盛したという。他のジャンルも人気で、前回登場したH・Kさんは『月光仮面』(58~59年)を見たそうだ。また「嘉手納服装学院」(現在の沖縄ブライダルモード学園)が、59年3月に第1回ファッションショーを開催したという記録も残っている。
閉館時期だが、前述の「嘉手納町史」によると77年頃まで営業していたという。他に、沖縄アーカイブ研究所がデジタル収集している膨大な8ミリフィルムの中に、「嘉手納琉映館」の車道入り口に掲げられた映画看板が一瞬だけ登場する映像がある。看板は千葉真一主演の『殺人拳2』(74年)であることから、少なくともその時期まで営まれていたことが分かる。
(平良竜次、シネマラボ突貫小僧・代表)
(當間早志監修)
(第2金曜日掲載)