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首里劇場 劇場解体、さよなら館長 <沖縄まぼろし映画館>173


首里劇場 劇場解体、さよなら館長 <沖縄まぼろし映画館>173 金城政則館長=2020年12月
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 沖縄現存最古の映画館「首里劇場」の解体が16日より始まる。私が参加している「首里劇場調査団」が最後の内覧会を開催したところ、なんと1169人もの方々が訪れて、劇場との別れを惜しんだ。大勢の人でにぎわうこの光景を、一番見てほしかった人がいる。昨年4月に亡くなった金城政則館長である。

 私が金城館長と初めて出会ったのは、今から16年前の2007年。『探偵事務所5・マクガフィン』(當間早志監督)の上映会をさせてほしいと直談判するために首里劇場を訪れた。だが館長は突然の闖入(ちんにゅう)者に警戒したのか「こんなボロボロの劇場でやっても意味ないよ」と首を縦に振らない。諦めきれずに日参したところ、「もう分かった、勝手にやれ」としぶしぶ了承してくれた。上映会当日は満席で立ち見が出るほど。観客は劇場が持つ独特の風情に驚き、さまざまな場所を撮影した。それを眺めている館長は、心なしか上機嫌のように見えた。

 それからというもの、さまざまな催しを首里劇場で開催してきた。ライブやWEB番組の生配信、国際映画祭の会場にもなった。私が劇場を訪れるたびに館長は「何しに来たか!?」と冗談を言いつつ、ロビーの自販機でさんぴん茶をおごってくれた。憎まれ口とは裏腹に愛情深い人だった。

 彼が首里劇場で働き始めたのは17歳の頃。先代の父親を手伝うためだった。2002年に父親が交通事故で亡くなると、そのまま館長を継いだ。高齢の従業員が辞めると、金城館長はたった1人で掃除から窓口のもぎり、上映、建物の修繕まで行った。

 何かにつけて「こんな劇場、明日にはつぶれてなくなっているよ」と自嘲していたが、ある日、ふと「おやじが大切にしてきた場所だから、自分が守らないといけない」とつぶやいた瞬間を覚えている。本音だったのだろう。

 実は2021年後半にささいなことで金城館長を怒らせてしまった。以来、冷却期間として会うのを控えていたのだが、その間に館長が急逝してしまった。末期がんだった。

 ご遺族に聞くと、亡くなる直前に「劇場を終えていい」と言い残したそうだ。それにもかかわらず、私たちは解体をいったん待ってもらった上で劇場の調査を行った。少なくとも記録を後世へ残すことができて一安心であるが、あの世にいる館長は「またお前は勝手なことばかりしやがって」と怒るかもしれない。でも、心のどこかで、その言葉を待ちわびる自分がいる。

 (平良竜次、シネマラボ突貫小僧・代表)
 (當間早志監修)
 (第2金曜日掲載)