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嘉手納沖映館 新たな写真で館名判明<沖縄まぼろし映画館>176


嘉手納沖映館 新たな写真で館名判明<沖縄まぼろし映画館>176 沖縄県公文書館所蔵の「嘉手納沖映館」の写真
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 以前、「読谷沖映館」館主の故・山城源徳氏の家族から提供いただいたアルバム(以下、源徳アルバム)より、館名不明の沖映系映画館の写真を3枚紹介した。今回、そのうちの1枚(2020年10月9日付の第137回に掲載)が判明した。

 きっかけは、写真家で作家のラブ・オーシュリさん。『青い目が見た大琉球』(ニライ社)の著者だ。ラブさんは沖縄県公文書館で見つけた映画館の写真(以下、公文書写真)を、本記事監修の當間に伝えた。

 公文書館写真を見てみると、「嘉手納沖映館」の名が正面上部に掲げられている劇場が写っており、2階部分までブロックがむき出しのまま積まれていてコンクリート瓦が屋根に乗っている。窓や出入り口の位置・形状から見ても間違いなく源徳アルバムの劇場と同じ建物だ。

「嘉手納沖映館」と判明した写真(山城勝徳氏提供)

 撮影時期についてだが、當間は、源徳アルバムを1952年9月~11月ごろに撮られたと推測している。公文書写真は正面2階の張り出しが追加されて柵も設けられていることから、源徳アルバムより後に撮られたのだろう。

 「嘉手納沖映館」は、嘉手納ロータリーの北側にあった劇場だ。当初「かい楽館」として営業していたが、52年頃に沖映系列になり、名称を「嘉手納沖映館」に変更した。

 実は、私たちはすでに別の「嘉手納沖映館」の写真を入手しているが、それは外観に特徴のある近代的な建物。公文書写真と違うのは一度建て替えられたからなのだろう。ちなみに、その建物は「沖縄アーカイブ研究所」が所蔵している56年10月撮影の8ミリ映像で確認できることから、その頃までには建て替えられていたことが分かる。

 「嘉手納沖映館」に関係する写真は他にもいくつかあるので、今後もさらなる分析を進めていきたい。

(平良竜次、シネマラボ突貫小僧・代表)
(當間早志監修)
(第2金曜日掲載)