宮古島の北に位置する池間島。人口約500人の小さな島だが、かつては劇場が三つもあったという。池間島観光協会の代表理事・仲間広二さん(1963年生まれ)に案内していただいた。
最初に向かったのは、池間公民館より北西へ50メートルほど行った空き地。「先輩方から露天劇場があったと聞きました。上映会を行っていたそうです」
続いて向かったのは、前述の露天劇場より北西へ140メートルほど進んだ路地の角。10坪(33平方メートル)ほどの小さな敷地に「池間文化センター」という映画館があった。
「僕が小学校低学年の頃までありました。上映前には親子ラジオで告知が流れます。大人たちが『愛染かつら』を見て、泣いているのが不思議でしたね。フィルムは船で運ばれてくるため、海が荒れたら休館になります」。公民館の脇で井戸端会議をしていた古老たちに聞くと、「池間文化センター」の経営者・上里登は、宝石さんごの採取で財を成したという。
最後に向かったのは「池間劇場」。そこは「池間文化センター」から北東へ40メートル先の森の中。驚いたのは劇場の廃虚が残っていたことである。鉄筋コンクリート製の立派な建物だが、劇場にしてはかなり小さい。客席スペースも狭くて30席もなかったのではないか。客席側の屋根は崩落。2階映写室には映写機が2台据えられていた。
琉球政府の「興行場営業台帳」によると、「池間劇場」の名称で1962年1月8日に営業許可が下りている。申請者名は伊計広吉。「伊計は元漁師で、池間島で初めて鉄筋ブロック2階建ての建物を作った人。彼の息子と友だちだったので、映写室横の特別席で映画を見せてもらったりしました」
仲間さんは大人に連れられて高倉健主演の任侠(にんきょう)映画や、沖縄芝居の劇団「おもと座」の芝居も見たそうだ。また『大魔神』シリーズ(66年)や『怪傑ライオン丸』(72~73年テレビ放映)を見たというから、復帰後も営業していたことが分かる。
それにしてもこの小さな島になぜ三つも劇場が存在したのか? 前述の古老たちはうれしそうに答えてくれた。「島はカツオ漁でとても栄えていた。他島からの出稼ぎも多くてにぎやかだった。だから劇場もいっぱいあったわけよ」
(平良竜次、シネマラボ突貫小僧・代表)
(當間早志監修)
(次回は4月12日掲載)