至近弾 家族5人の命奪う 金城潔さん 収容所で(56)<読者と刻む沖縄戦>


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現在の糸満市真栄里の集落

 真和志村(現那覇市)の国場を離れ、共に島尻を目指していた親類4人を米軍の砲撃で失い、戦場をさまよった金城潔さん(89)=那覇市=は父母らと共に高嶺村(現糸満市)真栄里にたどり着きます。

 《真栄里に着いたのは6月12日ごろと思います。着いた日は静かでしたが、翌日の昼から迫撃砲弾が激しくなりました。》

 安心して隠れる場所はありませんでした。「自分の身を防ぐだけで精いっぱい。周りを見ている余裕はなかった」と潔さんは語ります。米軍の砲弾は容赦なく家族を襲います。

 《安全な所もなく、無情にも至近弾で家族5人が被弾してしまいました。一瞬の悪夢、私一人を残して5人は亡くなりました。》
 亡くなったのは父蒲助さん、母カマさんに祖母、兄嫁、幼い姪です。潔さんも足にけがをしました。母は息を引き取る直前、潔さんに水を求めました。

 「母が『水が欲しい』というのでムラガーに行きました。水をくんで戻ったら母は亡くなっていました」

 両親ら5人の死から数日後、潔さんは近くにいた女性と共に、真栄里に進攻した米軍に捕らわれます。

 《私は足をけがして座ったままでした。一緒にいた女の人が「アメリカーがちょーん」と言って逃げようとしましたが、前の方にも戦車があると言って戻ってきて、一緒に捕虜になりました。》