「父からバトン渡された」 ジョン・カビラさん、親子で沖縄戦後史語った番組が脚光


この記事を書いた人 Avatar photo 大城 周子
ギャラクシー賞授賞式会場で記念写真に収まるジョン・カビラさん(右)と父の川平朝清さん=8月3日、東京都内(ジョン・カビラさん提供)

 

 沖縄で戦後最初のラジオ局「琉球放送局AKAR(後の琉球放送)」が1950年に本放送を開始してから今年で70年。その設立に携わった沖縄放送界の生き字引、川平朝清さん(93)に息子のジョン・カビラさん(61)がインタビューしたラジオ番組が今、脚光を浴びている。

 対話を通して父の半生と沖縄戦後史をひもといたカビラさんは「父からバトンを渡された気がする。沖縄の復興に力を尽くした父の思いに恥じないよう、僕にできることを模索し続けたい」と語る。

 朝清さんは1927年、日本統治下の台湾に生まれ、終戦とともに両親の故郷・沖縄へ。長兄の朝申さんと一緒に米軍政府運営の下「AKAR」を設立し、戦後の沖縄でアナウンサー第1号となった。67年にはNHKの前身「沖縄放送協会」の会長に就任。ラジオパーソナリティーの長男ジョンさんを筆頭に、次男の謙慈さんは実業家、三男の慈英さんは俳優として活躍している。
 

1959年頃、ジョン・カビラさんと両親(ジョン・カビラさん提供)

 川平家は朝清さんの転勤で72年の日本復帰直後に東京へ移り住んだ。13歳まで沖縄で暮らしたジョンさんは、日本復帰を願う群衆の熱気や、米統治の圧政に怒りが噴出した「コザ騒動」をよく覚えているという。「沖縄は僕にとって幼少の楽しい思い出と同時に、米国の施政権下にあった陰の部分も記憶に刻まれている場所」と表現する。

 番組では、在日米軍専用施設が沖縄に集中していることや名護市辺野古の新基地建設など、沖縄の「今」についても語り合った。ジョンさんは「地位協定一つとっても、同じように米軍が駐留するドイツやイタリアと比較しておかしいと感じる。何が本当にフェアなのかと考えることが大切」と思いを語る。

 2人が出演した番組「GENERATION TO GENERATION~STORIES OF OKINAWA」は今年のギャラクシー賞ラジオ部門大賞、日本民間放送連盟賞ラジオ教養番組部門最優秀賞を受賞した。

(大城周子)   

【関連記事】

▼沖縄で戦後初のアナウンサー 島に響かせた希望の声 川平朝清さん

▼NHK朝ドラ「ちむどんどん」主演に黒島結菜さん 語りはジョン・カビラさん