なぜ今、島田叡を描いたのか、最後の行動の謎は… 映画「生きろ」佐古忠彦監督インタビュー


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島田叡という「人間」の物語を紡ぎたかったと語る佐古忠彦監督=1日、那覇市の桜坂劇場

 太平洋戦争末期の沖縄県知事・島田叡(あきら)にスポットを当てたドキュメンタリー映画「生きろ 島田叡(あきら) 戦中最後の沖縄県知事」の先行上映が6日から那覇市の桜坂劇場で始まる。関係者やその遺族らの取材を通して島田知事の人物の生涯と沖縄戦中史に迫る。佐古忠彦監督に作品への思いを聞いた。  (聞き手・田中芳)  

 

―島田知事の関係者や故大田昌秀元沖縄県知事にはいつ取材したのか。

 「島田知事については、2013年のテレビ番組の制作で取材したが、その後も沖縄戦に関する証言取材を続け、今回の映画化が決まったあとにも石原昌家さん(沖国大名誉教授)、元少年警察官の上原徹さんらへ再取材した。大田元知事には13年だけでなくインタビューを重ねており、先輩記者が2008年に取材したものも含め、長きにわたる私たちの取材を盛り込んでいる」  

―島田知事を改めて取り上げた理由は。

 「大田元知事の『厳しい状況下で島田知事にできることとできないことがあり、できないことは何だったか、なぜできなかったか』という言葉に象徴されるように、軍と県の関係、リーダー論、組織と個の関係などさまざまな視点が見えてくる。苦悩をそのまま出した上で、島田叡という「人間」の物語を紡ぎたかった。また、命に向き合った人々の証言、姿を改めて伝えたいと思った」  

―作中の島田知事の語りは何を基にしたのか。

 「島田をいかに表現するか、それは、本人の音声や映像が全くないため、まずぶち当たった大きな壁だった。数々の証言と語りで人物を浮き彫りにする、いわば挑みの作品でもある。証言や元側近の手記などに残る島田の言葉、島田が直接目にしたであろうもの、自身が行動したことを“島田語り”にした」  

―島田知事に批判的な意見もある。

 「さまざまな立場からの指摘、批判がある。軍と一体となり戦争を遂行する立場だった、その人間性は素晴らしいかもしれないが、知事としての仕事の中身で評価するべき、とするものだ。内務官僚の立場で軍に協力しながら住民の命を守らないといけない。二律背反の中で苦悩した島田の功罪を提示し、今とは違う時代背景の中で決して逆らえない権力を前に「個」として島田が何をなしたか、に着目したかった」

 ―制作で感じたことは。

 「島田がなぜ轟の壕で県庁を解散し、その後牛島司令官のもとに向かったのか、ずっと疑問だったが、それを解き明かしてくれた一つの要素が、新たに発掘された牛島から島田に宛てた手紙だったと思う。軍と一体ではなかったことが分かった。分析にも時間をかけ長い間考えてきた。このような新たな資料、新たな証言で、人間像や、その行動についてより深く広く描くことができたと思う」

 ◇  ◇

映画「生きろ 島田叡 戦中最後の沖縄県知事」の初回上映は3月6日、午前11時20分から。上映終了後、佐古監督の舞台あいさつと、お笑い芸人の小波津正光さん(まーちゃん)によるスタンダップコメディを行う。

そのほか6日午後2時40分、7日午前10時、午後1時、午後6時10分の上映終了後に、佐古監督の舞台あいさつがある。上映スケジュールは桜坂劇場公式ホームページ参照。

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