かつて東北地方の政治や文化の中心地として栄え、歴史的な遺跡が多く残る宮城県多賀城市。金城俊史さん(63)=本部町出身=が妻トミエさん(60)と、この地に理髪店「ヘアーサロンシュン」を開いてから34年になる。沿岸部から約2キロにあるこの店で、金城さんは東日本大震災の津波に遭った。
2011年3月11日、大きな地震の直後、長女の身を案じて七ケ浜町の自宅へ向かった。一方、長女は自宅から店を訪れ、店内にいたトミエさんと2人で高台に避難した。行き違いになった金城さんは店に戻り、津波に襲われた。
ごおっという激しい音。逃げようと入り口まで行くと、「目の前を車がぱかぱか流れていった」。避難を諦め、約2メートルの棚によじ登った。
店内に濁流が流れ込んだ。水位はどんどん上がり、迫ってくる。脱出を試みて黒い水の中に飛び込んだが、うまくいかずに断念。再び棚の上に戻った。水が引いた後、近所の住宅に避難し、九死に一生を得た。
被災直後は「店をやめようか」と悩んだが、トミエさんは「お客さんたちの『待ってるから』という言葉に励まされた」。ボイラーを沖縄から取り寄せるなど、必要な機材や道具を一からそろえた。11年4月、水の供給が復旧した日に店を再オープンした。
再開すると、常連客が続々と店を訪れてくれた。「大丈夫だったんですね」と無事を喜び合った。一方で、あれから一度も来ていない客も数人いる。電話番号は把握しているが、かける勇気はない。
震災から2年ほどは、「とにかく大変な日々だった」。懸命に仕事をしているうちに徐々に落ち着き、3年目ごろには日常を取り戻した。
沿岸部の復旧もだいぶ進んだと感じるようになった頃、新型コロナウイルスの影響で生活は一変した。先行きの不透明さに不安はぬぐえない。
三陸地方には「津波てんでんこ」という言い伝えがある。津波が来たら、家族てんでばらばらに高台に逃げろという意味だ。震災から10年に当たり、金城さんが最も伝えたい言葉だ。「うちは家族全員が無事だった。だから前に進めた」
あの日を境に変えた方針がある。60歳までは仕事優先で、楽しみはその後という考えだ。「やりたいことはやっておこう」と、北海道や東北6県などを旅した。「人間、いつ死ぬか分からない。震災の体験は一つの大きい出来事だった」
新型コロナの影響は、仕事以外にも及ぶ。毎年楽しみにしていた帰省も自粛中だ。落ち着いたら、沖縄で地元の仲間に会いたい。行きたい場所もまだまだある。助かった命を大切に、今を精いっぱい生きる。
(前森智香子)
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