沖縄女性のエンパワーメント(地位向上)に取り組むプログラム「I Am」のネットワーキングカフェが18日、那覇市牧志のホテルストレータ那覇で開かれ、ゲストに那覇市出身でファッションスタイリストとして活躍する知念美加子さんが出演した。雑誌やテレビの華やかな世界で活躍する絶頂期に留学や出産を経験。沖縄で家庭を持ち、東京との二拠点生活を送るまでのこれまでの自身の歩みを語った。聞き手は、フリーランス通訳者で「I Am」発起人の真栄田若菜さんが務めた。
部活着もコーディネート
スタイリストとは、雑誌の撮影やショーでモデルが着る服をメーカーから借りたり、服装や小物などの組み合わせを提案したりする仕事。知念さんが、ファッションが好きだと気づいたのは幼少期だった。引っ込み思案な子どもで、服も母親に言われた物を着ていた。グレーや白、黒の服が多かったが、気に入った服の組み合わせに迷い、色違いを着てみたところ「同じ形の服でも色で印象が変わるのが楽しいことに気づいた」という。小学校では部活着のコーディネートも考えた。
高校卒業後に海外留学などを経て「好きなことを仕事にしよう。今なら失敗してもいい」と22歳で上京し、アシスタントを経験してスタイリストになった。アシスタント時代は、 一日24時間では足りず、「人間は寝なくても生きられる」と感じたほど忙しい日々を送った。2年働いて独立し、雑誌やテレビのコーディネートで活躍し絶頂期にあったが「自分の好きなファッションを楽しんでいるか」と疑問を感じ、キャリアを中断して渡英した。
ロンドンでは、「トレンドを追うのがファッションなのか。何のためのおしゃれか」と考えた。これまで仕事で使わなかった色使いの服を選び、自分でモデルを探してお金を出して撮影することにも挑戦した。服だけでなく空間演出にも関心を持った。「広い視野を持てるようになった。人脈など今まで恵まれていたことも大切にしたいと感じた」と語った。
出産を機に沖縄に戻り、那覇市内でアトリエを開設し、アクセサリーやドライフラワーを創作するかたわら、東京と行き来してスタイリングの仕事を続けている。写真メーンのSNS「インスタグラム」で発信される知念さんの世界観は3万人のフォロワーを魅了している。
母になっても「できるよ」
質疑応答では、ファッションから仕事と家庭の両立まで、さまざまな質問があった。「家庭や仕事が忙しい中で好きなことをする時間をどう作っているか」との問いに知念さんは、自分らしく創作活動ができる空間としてアトリエを開設したとし「自分の(ファッションの)感覚を忘れそうだった。やりたいことは崩したくない。(母である前に)1人の人間であることを理解してもらいたい」と話した。
華やかな世界で活躍する中で、出産して家庭を持ち「全てが一変した」。仕事との両立について、「(母になっても)できるよ、と伝えたい。私が実験台になれれば」と話し、女性たちにエールを送る。
スタイリングの現場が女性向け雑誌だったこともあり、女性の活躍を応援したい気持ちは強い。「男女平等は難しいけど、女性が仕事でやりたいことができる平等な社会になってほしい」と願う。
ファッションのトレンドをつくるスタイリストの仕事を続ける上で、どのようにインスピレーションを得ているのか。真栄田さんが尋ねた。
スタイリストは、トレンドを押さえた着こなしを提案するのが仕事で、高級ブランドのコレクションが発表されると、今季のレンドとなりそうなデザインや着こなしを日本の文化や製品に落とし込んで提案する。一方で、知念さん個人としてのスタイリングは「トレンドで悩むのはもういいかな。もっと自由でいい」とも感じている。好きなものを自由に着た中でトレンドに気づくこともある。職業のスタイリストとしての自分と、知念さん個人の2つの側面が反応し合っている。
着たい服は「似合う」
雑誌で見た服を可愛いと思って、いざ店で着てみたら似合わなかった、という経験した女性は「好きな服ではなくコンプレックスを隠す服を探している。可愛いと思う服との差に悩む」と吐露した。これに対し、知念さんは「自分が思っているほど、人は気にしていない。自分が気にするからコンプレックスになる。着たい服が着られない方がストレスになる。似合っているかも、というマインドで変わると思う」と話し、見せ方を工夫することなどをアドバイスした。
会場には、スタイリストの職業に関心のある学生の姿もあり、キャリアについての助言もした。「ファッションだけでなく、いろんな芸術を見てセンスを磨いてほしい。いろんなところに行っていろんなものを見てほしい。インスピレーションとして受け入れて、物事を違う見方で考えてみて」と力を込めた。
イベント終了後、東京のファッション業界の仕事や、英国留学を経た知念さんが、沖縄に戻った今、ファッションに対する考えが変わったのか聞いた。トレンドが次々と生み出される東京のファッションを「戦闘服のようだった」と振り返る。「沖縄は文化も気候も違うし、今日は何を着ようかな、とゆるくなっていい。ファッションは自分のモチベーションを上げるため。その日どういう自分でいたいかが大事だという気持ちが強くなった」と肩の力を抜く。今後も、自分らしく、自由に、今後も活動の幅を広げていくつもりだ。
【こちらもオススメ】
コロナ禍で編み出したアパレルブランドの生き残り策 YOKANGの山内カンナさんインタビュー