涙浮かべる児童を抱き寄せ「ありがとうね」 平良さん、対馬丸の体験語る 次世代に伝え続けたこと


この記事を書いた人 Avatar photo 田吹 遥子
仲泊小学校の平和学習で「対馬丸と私」と題した講話をする平良啓子さん=6月24日、恩納村立仲泊小学校体育館

 【恩納】恩納村立仲泊小は6月24日の平和学習の時間に、1944年8月22日に米軍潜水艦に撃沈された「対馬丸」の遭難体験者、平良啓子さん(85)=大宜味村出身=を招き、5、6年生が講話「対馬丸と私」を聴いた。平良さんは講話中、立ったまま身振り手振りで詳細に体験を伝え、「戦争は心の中で生まれる。勉強して平和のありがたさを知ろう」と児童らに優しく語り掛けた。

 平良さんは撃沈当時、安波国民学校4年生(9歳)だった。1944年8月21日、学童や一般の疎開者を乗せた「対馬丸」に家族5人らと共に乗船し、長崎県を目指した。翌22日夜、対馬丸は攻撃を受けた。

 平良さんは海に投げ出され、漂流中にサメに襲われ、家族や仲良しのいとこと切り離された。母親の「きっと会えるからね」という言葉を思い出し、平良さんは「絶対死ぬものか」という信念で生き延びたと語った。

 いかだで海を漂い、子ども心に「戦争は人の心を変える」と痛感した。「以前は戦争と聞くだけで嫌な気持ちになったが、戦争の悲惨さ、恐ろしさを伝えていかなければと考え講演活動をするようになった」と語った。

 講話を終えた後、6年生が感謝の言葉を伝えた。児童の一人は講話前に対馬丸を題材にしたアニメを思い出し、「家族や友と離れ悲しい気持ち、周りの人の死を見て不安な気持ち、空腹の苦しみがわかった」と涙を浮かべながら話した。また別の児童は「話すのが辛いのに、話してくれてありがとうございました。映像で見たより、今日話を聞き、戦争はもっと恐ろしいものだと感じた」と話した。

 平良さんは2人をやさしく抱き寄せ、「ありがとうね」と返した。
(小山猛三郎通信員)

▼【特集・沖縄戦】

▼【動くグラフィック】どんな戦争だったの

▼【まんがで伝える沖縄戦】対馬丸 海に眠る子どもたち

▼【ワークシート付き】地域の沖縄戦知ろう! 那覇・豊見城・南風原編

▼沖縄戦事典