「正直めっちゃ怖かったですね。知らない人の前でセクシャリティをさらけ出すなんて」。沖縄県内の選挙で初めて性的少数者(LGBTQなど)の当事者であることを公表して那覇市議選に挑戦した畑井モト子さん(41)はそう振り返る。
畑井さんは体は女性だが、自身の性をどう認識しているかという「性自認」は定まっていない。選挙中は「Xジェンダー」と表現した。
■毎日持ち歩いた袋とタオル
畑井さんが長年取り組んできたのは動物愛護活動だ。2009年に沖縄に移り住んだ当初、自転車で通勤時に通る国道で、毎日のように車にひかれた猫を目にした。リュックには、死骸を拾うためのビニール袋とタオルを常備するようになった。
当時、沖縄は犬猫の殺処分数で全国ワーストだった。畑井さんは15年に任意団体「TSUNAGU OKINAWA」を立ち上げ、フリーペーパーの発行やイベントを企画。野良猫に避妊去勢手術をしてその場に返す「TNR」活動も続けてきた。
動物愛護の活動を通して、市民の力だけでは解決が難しい問題にも直面してきた。社会的に孤立していたり、生きづらさを抱えたりしている人たちの代弁者になろうと今年4月、「完全無所属」での立候補に向けて準備を始めた。
■隣にいることで気付く
もともと1人で悩みを抱え込むタイプだという畑井さん。那覇市公設市場近くで和食器屋「津覇商店」を営む津覇綾子さんとの出会いをきっかけに、まちぐゎー(商店街)の人たちと関わるようになり、変わったという。
「みんな個性的で普段ばらばらに動いているように見えるんだけど、何か困ったことがあるとキュッと団結する。まちぐゎーからは人と人のつながりと、多様性を学んだ」
選挙でLGBTを公表した理由は「何より人の心を動かすのは当事者の声」だと信じるから。自身も車いすに乗る友人と出掛けたとき、段差など普段気にも留めなかった不便さに気付いた。「身近に当事者がいることで自分事になる」。議会にもその風を起こしたかった。
■怖くて言えなかった
選挙中は、性的マイノリティーの象徴であるレインボーフラッグやトランスジェンダーフラッグを持って街頭に立った。
それでも、政策などを訴える「街頭演説」ではなかなか声を発することができなかったという。通行人の視線が気になり、ナーバスになった。「『私は当事者です』という一言がどうしても怖くて言えなかった」
気持ちを切り替えられたのは投開票の2日前。畑井さんの支援者が、別の候補者の関係者に「女同士なんかくっついたら駄目だよ。子孫繁栄のためにそんなことは認められない」と言われ、奮い立った。「私はこういう差別を無くすために立候補したんだ」
翌日は胸を張り、当事者として社会を変えたいと訴えた。「最初から声高に言えたらいいのかもしれないけど、この弱さも含めて私。怖さから抜けていくプロセスも大事だったんだと思っています」
■うねりを大きく
選挙結果は落選だったが、地盤も血縁もない街で1119票を獲得した。
SNSでの反響も大きく、当事者だけでなく、その家族から「受け入れられない自分を考えさせられた」と声が寄せられ、友人が当事者だという高校生からは「友だちが生きやすい社会になってほしい。選挙権を持ったら社会の一員として投票に行きます」とメッセージが届いた。
畑井さん自身も、直接はカミングアウトしていない母親から選挙後に電話があったという。「『ありがとう、よく頑張ったね』と言われ、ほっとしました。ようやく本当の自分で向き合えたというか…」とはにかむ。
LGBTQ当事者を公表して、投じた一石。「このうねりをもっと広げたい」と畑井さんはいう。「選挙は終わりではなく始まりです。1票を投じた候補者のその先を見ていくことが大事。市民の声が届くよう、何か面白いことをやりますよ」と笑顔を向けた。
(大城周子)
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