「私はLGBTQ当事者」那覇市議選、畑井さんの挑戦 拡声器なしで訴えたこと


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選挙活動中、レインボーフラッグの前で支持を訴える畑井モト子さん=7月10日、那覇市おもろまち(提供)

 7月11日に投開票された那覇市議会議員選挙。畑井モト子さん(41)は沖縄県内の選挙で初めて性的少数者(LGBTQなど)であることを公表して立候補した。

 得票数は1119票で当選には435票及ばなかったが、一石を投じたことへの反響は大きく、畑井さん自身も「初めて本当の自分を出して世の中に訴えていくことができた」と次の一歩を見据える。

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「沖縄に来てがらりと人生が変わった」と語る畑井モト子さん=7月15日、那覇市松尾

 畑井さんは戸籍上の性は女性だが、自認は男女どちらにも定まっていない。
 奈良県出身で、小学校の同学年が6人しかいないような小さな町に育った。「うわさ話はすぐ広まるし、みんなと同じようにしておかないと何を言われるかわからないという土地柄ではあった」という。

 スカートが嫌い、赤いランドセルを背負うのも大嫌いだった。中学1年のとき「友だちに対しての『好き』とは違うかも」と気になる女の子ができた。相談した先生から返ってきた言葉は「それは間違っている」だった。
 もともと集団行動が苦手で、思春期特有の「女子グループ」になじめなかった畑井さん。先生の一言が追い打ちを掛けた。「やっぱり自分はおかしいんだ」。その後の2年間は不登校に。自宅に引きこもった時期は「自分でいられてものすごく楽だった」と振り返る。

 専門学校を経て大阪でWEBサイト運営の仕事に就いた後、2009年に沖縄へ移り住んだ。移住のきっかけはパートナーとの別れだ。7年付き合った相手に「普通に結婚して、普通に子どもを生んで、普通に幸せな家庭を築きたい」と打ち明けられた。
 「自分が男なら彼女の望む幸せをかなえられたのかなって、すごく落ち込んだ」。心機一転、住んでみたいと思っていた沖縄に身一つでやってきた。

選挙時にも使ったトランスジェンダーフラッグを横に。右後方に見えるのは建て替え工事が進む第一牧志公設市場=7月15日、那覇市松尾

 沖縄で動物愛護活動や那覇のまちぐゎー(商店街)での出会いを通して人の温かさに救われ、人生が変わった。「昔は自分を守ることしか考えていなかった私が、ちょっとでも誰かの役に立てる存在になれたらうれしいと思うようになった」

 選挙を意識したのも、長年取り組んできた猫や犬の保護活動が原点だ。ボランティア活動をする中で、独居の高齢者や生活困窮者など、社会から孤立する人たちの存在に気付いた。
 「犬猫の問題という表面的な問題の奥に社会問題がつながっている。問題に関わる人の背景に目を向けて変えていきたい」と市議選への立候補を決めた。

 多様な性を尊重する社会実現のための条例制定、多頭飼育崩壊を防ぐ仕組みづくり、防災計画のマイノリティーへの配慮…。できる限り実現可能な公約を掲げ、拡声器を使わず地声で支持を訴えた。選挙活動中にLGBTQ当事者から「応援している」と声を掛けられたり、SNSでメッセージをもらったりしたことも力になった。
 「落選は悔しい。でも、私に投票してくれた人たちの思いを背負って、これからは堂々とどちらでもない性で動物と市民に寄り添い続ける」。市議にはなれなかった。それでも別の形で、1119票の期待に応えるつもりだ。

(大城周子)

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