救える子ども、この手でも…大震災に背中を押され<記者、里親になる>2


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>>【連載1回目】子育ての経験ないまま・・・子の受け入れ突然に(https://bit.ly/3qvyVsu)

 

 

男の子の乳児の遺体がビニール袋に包まれて見つかった現場。2007年12月撮影=沖縄市の泡瀬漁港

 沖縄市の泡瀬漁港で2007年12月、波打ち際に漂うビニール袋の中から男の子の乳児の遺体が見つかった。当時、事件事故取材を統括する警察班のキャップだった。現場を訪れ、海に向かって手を合わせた。冬風が身に染みた。

 視線を感じた。車の中から男性2人がこちらをじっと見詰めている。雰囲気から刑事だと直感した。事件はすでに報道されていた。関係者が現れないか張り込みをしていたのだろう。結局、事件は未解決のままだ。

 生まれたと同時に奪われた命があった。周囲が気付きながら救えなかった命もあった。記事に込めた願いは再発防止だ。しかし、類似の事件は絶えない。「またか」。この言葉を何度口にしただろうか。無力感に打ちひしがれた。

 学生時代から児童養護施設を訪れる機会があり、記者になる以前から里親制度を知っていた。取材を通して社会的養護にある子どもとの出会いもあった。少しでも支援をできたら。そんな考えが芽生えた。

 2011年3月11日、東日本大震災が発生した。震災で困難に直面し、支援を必要とする子どもがいるかもしれない。そう思うようになり、踏み出す一歩につながった。この年、那覇市にある沖縄県里親会事務局を妻と初めて訪れ、登録の手続きを進めた。

 里親登録に特別な資格は必要ない。児童相談所が里親希望者向けに作成した資料には「子どもが必要としているのは『健康な普通の家庭』」と記されていた。

 ただ、過去に犯罪に関わっていないかなどの欠格事由、経済的に困窮していないなどの条件がある。これらを証明するため「刑罰証明書発行に関する同意書」「所得証明書」「健康診断書」「自宅家屋の図面」「誓約書」などの書類を提出した。県内の児童相談所は中央、コザの2カ所で、その職員が家庭訪問もする。

 定められた研修も受けなければならない。その後、県の社会福祉審議会に諮られた後、里親として認定される。
 

親も一人で悩まないで…里親研修で願ったこと
 

 里親に認定されるための研修には座学と実習がある。児童相談所の職員や里親体験者、各支援団体などの職員らが講話した。社会的養護を必要とする子どもたちの傾向、里親が養育する上での最低基準などを学んだ。

 研修の主軸は、子どもの権利をいかに守るかを学ぶことにある。児童福祉法や「子どもの権利条約」なども紹介されていた。

 実習先は、県内の児童養護施設や糸満市にある乳児院などで取り組んだ。

 里親には4種類がある。子どもを育てる「養育里親」、養子縁組を前提とする「特別養育里親」、障がいのある児童などを養育する「専門里親」、3親等内の親族が担う「親族里親」だ。

 私たち夫婦は養育里親の認定から受けることにした。研修は5年に1度受けなければならない。2020年に3度目の研修を受けた際、特別養育里親の認定も受けた。私たち夫婦に実子はいない。

 2011年の初めてとなる研修の場では、同年3月27日付琉球新報の記事が配布された。見出しは「追跡 乳児死体遺棄で母親逮捕」。同僚が書いた記事だった。自宅で出産した女性が、乳児の遺体を遺棄した事件の背景などを伝えていた。

 記事では、セーフティーネットとして里親や一時保護の制度があることに触れられていた。

 「(妊娠中に)『育てられない』と相談に来たけど、(出産後に)育てたいと考え直す女性もいた。育てられない場合、一人で悩まず誰かにゆだねてほしい」

 記事文中で紹介された児童相談所職員の言葉だ。そのメッセージはこの10年、支援を必要とする人たちにきちんと届いていたのか。より広く伝わることを願っている。

(島袋貞治)

>>【連載1回目の下】託された命を抱きしめ考える 「子の一番の幸せ」とは・・・

 


 

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