在沖米軍基地約5千ヘクタールの返還や訓練移転などを定めた1996年の日米特別行動委員会(SACO)最終報告から2日で25年がたった。SACOで決められた11施設の返還には、県内での代替施設建設や機能移転が条件。負担の固定化につながる恐れがある、各地の現状をまとめた。
<普天間飛行場>移設先完成見通せず 使用までに最短12年超
米軍普天間飛行場は1996年4月、日米が全面返還に合意した。半年後のSACO最終報告で本島東海岸沖に海上基地を建設すると決定し、県民の頭越しで県内移設を条件とした。日本政府は名護市辺野古への移設を推進するが、埋め立て予定海底の軟弱地盤が判明し、完成が見通せない状況に陥っている。
日米両政府は普天間飛行場の危険性除去を掲げて移設を進めるが、辺野古に海兵隊の飛行場を建設する計画はSACOの30年前から存在していた。米国は66年に計画を策定したが建設費を理由に断念した。
日本政府は辺野古・大浦湾で工事を始めた後に軟弱地盤の存在を認めた。費用は当初の2.7倍に当たる約9300億円に膨らみ、工期も延び、米軍が使うまでに最短でも12年以上かかる。
2013年に日米がまとめた統合計画では、普天間飛行場返還の8条件が定められた。関連施設の移設の他に、米政府による飛行場認定や水域提供に向けた日米調整なども含まれ、辺野古で飛行場が完成したとしても、普天間飛行場が直ちに返還されない可能性が指摘されている。
(明真南斗)
<那覇軍港>目的外使用に県反発
SACO最終報告では米軍那覇港湾施設(那覇軍港)は浦添ふ頭地区への移設で合意している。2020年8月には県と那覇市、浦添市の3者が軍港代替施設をふ頭の北側に配置する案で事実上合意し、移設が加速する方針となった。
日米両政府は1974年に那覇軍港の条件付き全面返還を決定した後、95年の日米合同委員会で浦添ふ頭地区への移設を決めた。2006年、浦添ふ頭地区に隣接する米軍牧港補給地区(キャンプ・キンザー)の全面返還が決まり、軍港を移設する必要性が薄れているとの指摘もある。
日米間で在沖米軍基地の使用条件を定めた「5・15メモ」では、那覇軍港の使用主目的を「港湾施設および貯油所」としている。一方、米海兵隊は今年11月、垂直離着陸輸送機MV22オスプレイなどの輸送船への積み込みや、代替機陸揚げ後の普天間飛行場への移動に、那覇軍港で離着陸させた。県などは飛行中止を求めたが、沖縄防衛局は容認した。
(塚崎昇平)
<海軍駐機場>移転後も使用常態化 中止要求も外来機飛来
SACO最終報告には、米空軍嘉手納基地内の「海軍駐機場」の移転が盛り込まれ、2017年1月、基地内の別の場所へと移転された。だが、その後も旧駐機場が度々使用されるなど、最終報告の趣旨に反した運用が繰り返されている。
住宅地に隣接している旧駐機場は、哨戒機P3やP8などが主に使用し、昼夜問わずに鳴り響くエンジン調整音や悪臭などの被害が住民生活を苦しめてきた。そのため、最終報告に基づき、17年に住宅地から離れた基地中央部へと移転した。
だが、旧駐機場について米軍は「運用上必要ならば使用できる」との姿勢を示し、常態的に使用が可能だとの見解を示している。県や嘉手納町などは使用中止を求めているものの、空軍航空機や外来機などが使用を続けている状況だ。
(池田哲平)
<伊江島補助飛行場>離島作戦 訓練拠点に 民間地に落下事故相次ぐ
伊江村西部に位置する米軍伊江島補助飛行場には、SACO最終報告で読谷補助飛行場からパラシュート降下訓練が移転した。人員や物資の降下訓練に伴い、飛行場周辺の民間地には落下事故が相次いでいる。
パラシュート降下訓練に加え、同飛行場の機能強化が進んでいる。米軍は2018年、最新鋭ステルス戦闘機F35B用の離着陸場を整備した。
米軍岩国基地(山口県)所属機がたびたび飛来し、垂直着陸訓練などを実施している。20年、飛行場内の滑走路を改修し、降下訓練用の航空機離着陸などに利用している。
米海兵隊は、離島などを占拠して臨時拠点として運用する新戦略「遠征前方基地作戦(EABO)」の訓練場として同飛行場を重視しており、ロケット砲搭載車両の展開訓練なども行っている。
(塚崎昇平)
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