【ちむどんどん第17話】戦後復興支えた製糖工場 朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集【ネタバレ注意】


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北部製糖の今帰仁工場(1960年ごろ)

 ちむどんどん第17話では、将来に悩んでいた暢子(黒島結菜)が、気持ちを切り替えて、料理部の助っ人として産業祭に参加することを決心します。そのころ、良子(川口春奈)は、製糖工場の息子・喜納金吾(渡辺大知)にしつこくデートに誘われ困惑していました。物語の舞台、1971年の沖縄には、北部に「北部製糖」が運営する大きな製糖工場が今帰仁村と名護市の羽地地区にありました。

 サトウキビの産地沖縄では、戦前から糖業は主要な輸出産業でした。沖縄戦で壊滅した製糖工場でしたが、糖業復興に向けて1950年11月には沖縄の18町村への工場の設置が決まり、50年代には次々と建設されていきます。北部製糖は59年に設立され、71年には今帰仁工場を県内初の精製糖工場に転換するなど勢いがありました。

 糖業全体を見ると、1960年代半ばには、小型工場の乱立が問題視され、合理化のための統合が議論されました。加えて、既にパインの試作に成功していた鹿児島県で製糖工場ブームが起きるなど、沖縄の糖業には逆風が吹き始めていました。

 北部製糖の製糖工場は1998年に経済連工場と合併し球陽製糖となり、球陽製糖は2015年に翔南製糖と合併し「ゆがふ製糖」となっています。


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