ちむどんどん第24話では、東京でプロボクサーになった比嘉賢秀(竜星涼)が、比嘉家に60万円を送ってきて、妹・暢子(黒島結菜)が無事東京に行けることになりました。
70年代に入ると、沖縄からプロボクシングの門をたたく若者が急増します。第24話で登場した賢秀のデビュー戦勝利を伝える新聞記事の写真には、賢秀と具志堅用高さんと思われるトレーナーが写っていました。
具志堅さんは1976年に、WBAジュニアフライ級チャンピオンになり、13回のタイトル防衛に成功した日本ボクシング史上に輝くチャンピオンです。復帰の変化で疲弊した沖縄の人々にとって、具志堅さんは自分たちを勇気づける星でした。
興南高校時代に全国モスキート級チャンピオンに輝いた具志堅さんは、1974年にプロ入りして5月のデビュー戦を判定で勝利。1976年1月に世界ランク3位のゴメス・キー(米)戦でKO勝利して世界ランカーとなると、同年10月10日にデビューから8戦目にして、ファン・グスマン(ドミニカ)とWBA世界ジュニアフライ級タイトルマッチを戦いました。試合は7回32秒で具志堅がKO勝利し、チャンピオンベルトをつかみ取りました。
10月20日には、沖縄で凱旋パレードが行われました。
具志堅は1981年3月にペドロ・フローレス(メキシコ)に負けるまでチャンピオンであり続け、プロ通算23戦22勝1敗(14KO勝ち)の成績を残しました。
ちなみに、具志堅さんの口癖と思われている「ちょっちゅね」は、片岡鶴太郎さんがものまねをする中で生んだ言葉で、うちなーぐちではありません。