沖縄の高校生は、“車通学”が当たり前だ。実に8割の生徒が、親などに車で学校まで送ってもらっている。
理由は単純。沖縄は全国で唯一、鉄道のない県だからだ。
太平洋戦争中の沖縄戦で壊滅した鉄道を、終戦後に統治した米国が復旧させなかったため、過度な車社会にならざるを得なかった。
渋滞は東京都心よりひどく、公共交通が細っていく一方で、メタボリックシンドロームの割合は全国ワースト…。
5月15日で、沖縄が日本に返還されて50年が経つ。節目を迎えるいま、あまり知られていない「鉄道なし県」としての沖縄に迫ってみた。
時間と値段を考えるとバスは…
沖縄本島中部の観光スポットとして人気の北谷町。この町から宜野湾市の県立高校に通う男子高生(17)も毎朝、大学生の姉(19)が運転する車で学校に送ってもらっている。
家から学校までは車だと15~20分で着くが、路線バスを使うと、乗り換えが必要なため40分程度かかる。料金は片道410円。
「乗り継ぎがない人はバスで通っているけど、乗り継ぎがある人、遠方の人は親に送ってもらっていることが多い」と男子生徒。
母親(50)も「公共交通機関で行けるが、バス代は意外と高い。時間と値段を考えると車で送った方がいいとなる」と説明する。
歩かないことによる運動不足が肥満にもつながるため、徒歩登校を呼び掛ける文書が配布される小学校もある。
これは学生だけの問題ではない。大人が通勤など日常的に使う交通手段もほとんどが自家用車だ。車で通勤しながら子どもを学校に送る例は珍しくない。
鉄道整備計画は測量だけして中止に
沖縄は基幹的公共交通システムである鉄道がない唯一の県だ(特殊鉄道のモノレールをのぞく)。
戦前は営業距離47.8キロ、県民に「ケイビン」と呼ばれ親しまれた県営鉄道が走っていた。通勤、通学のほか、貨車が接続され物流網としても機能していた。
しかし、1944年10月の空襲で一部の駅が焼失、損壊。米軍の沖縄本島上陸を目前に控えた45年3月28日ごろまでに運行を停止した。そして沖縄戦で破壊された。
戦後、日本本土では戦禍を被った鉄道の復旧が進められた。沖縄でも、統治した米国が1947年に鉄道整備を計画し測量までしたが、その年の末に計画は中止。道路整備を進める方針に転換した。沖縄戦で壊滅した県営鉄道の復旧は行われなかった。
72年に米国統治から日本への復帰を果たすと、沖縄はモータリゼーション(車社会化)が急速に進んだ。国道や沖縄自動車道のインフラ整備が進むにつれ、自動車台数は人口の伸び以上のペースで増加してきた。
自動車検査登録情報協会の統計によると、2022年1月末現在の自動車保有台数は119万209台となっている。統計の残る1975年末の25万1095台から4・74倍になった。この間の全国の増加は3倍弱であることから、沖縄での車の増加が顕著だったことが分かる。
東京23区よりもひどい渋滞
自動車が増加する沖縄は慢性的に渋滞が起きている。特に都市部の渋滞は深刻だ。
朝夕の通勤・帰宅時間帯は、とにかく車が進まない。
那覇中心部に勤務する40代の女性会社員はこう嘆息する。
「30分で着く道のりが、倍はかかる。雨が降るともっと混むので、1時間以上かかることもある。車を運転している時間は他のことが何もできない。ものすごくロスをしていると思う」
それでも、バスよりは時間が読めるし、代替手段はないので、車通勤を続けるという。
2015年の全国道路・街路交通情勢調査によると、那覇市の平日混雑時の自動車の平均速度は時速10・8キロ。大阪市の15・3キロ、東京23区の14・6キロより遅く、全国ワーストだった。新型コロナの影響で現在は若干緩和されているとみられるが、沖縄総合事務局は「傾向として変わらない。自動車の台数に道路整備が追いついていない」とする。
渋滞を解決するため、沖縄では道路の開設、拡幅が頻繁に行われてきた。主要道路の一つは最近、一部が片側4車線になった。観光で来て、道幅の広さに驚く人も多いという。
生徒より先に帰らないといけない先生
自動車が増加する一方で、公共交通の要となっているバスの利用者は1985年と比較すると2019年は3割ほどにまで減少している。利用者が減れば採算性を鑑み、便数を減らしたり、料金の値上げに踏み切ったりしなければならなくなる。するとさらに利便性が低下し、利用者は減るという悪循環が繰り返されてきた。
この影響をもろに受けるのが運転免許を持たない人たちだ。
予備校講師の女性(51)は、長く県外で過ごしていたため、運転免許を持っていない。沖縄に帰ってきて20年近くたつが、最近、バスの最終便が早くなり、仕事に支障が出ている。
「午後10時過ぎが最終だったのがどんどん早くなり、今は9時15分。時間割では10時まで授業だが、その時間まで授業をすると帰れなくなる」
職場の配慮で生徒よりも早めに切り上げ、残りの時間は生徒には問題を解かせたり、一番最後の時間に授業を入れないようにしたりすることでなんとか乗り切っているが、いつまでもこんな状況は続けられない。
「沖縄は車の免許を持っているのが当たり前で私のような人は珍しいかもしれないが、こんな状況ではバスの利用者は減るのは理解できる」
車依存社会、Z世代は…
車依存社会は、観光県としての沖縄にも影響を及ぼし始めている。
コロナ前の2019年。沖縄の観光客数は1000万人を越えた。沖縄を訪れる観光客のほとんどが滞在中レンタカーを利用する。そのためレンタカーが増加し、交通渋滞の一因にもなっている。観光客が沖縄に対し改善を求めるもののうち、「交通渋滞」「交通の移動の不便さ」は上位を占めている。
現状だけを見ると、渋滞が解決すべき課題のように思えるが、沖縄観光の将来を考えると違う課題が見えてくる。
「若者『クルマ離れ』沖縄観光に影響」-。
今年2月、こんな見出しの記事が琉球新報デジタルに掲載された。沖縄振興開発金融公庫が行ったポストコロナ時代における沖縄観光の在り方に関する調査結果を報じたもので、「Z世代」「ミレニアル世代」と呼ばれる若い世代は車離れしており、レンタカーでの移動が必要な沖縄旅行から遠ざかっている可能性がある―というものだ。
「東京の友人は免許を持っていても運転したことがない。レンタカーでの移動は怖がると思う」。大学時代を東京で過ごし、最近沖縄に帰郷した20代女性はこう話す。
沖縄の車依存社会からの脱却は今後の沖縄観光を考える上でもクリアすべき課題となっている。
解決すべきは渋滞?
「渋滞はなくさなくていい」。こう話すのはまちづくりコーディネーターの石垣綾音さん。
渋滞を解消するために道路を作るなどして、車が便利なようにすると車はさらに増える。するとまた渋滞が起きる。ずっとこの繰り返しになってしまうからだ。
「車の方が不便になれば、自然と渋滞は解消するのではないでしょうか」
石垣さんは、沖縄のまちは車が便利なように作られていると感じている。
例えば、那覇市のおもろまちは比較的新しいまちだが、歩く人ではなく車の目線が優先されているようだ。駅から新都心公園や博物館・美術館に向かう広い歩道があるが、通り沿いの店はこの歩道に背を向け、車が通る主要道路を向いている。
さらに横断歩道が進行方向になく、動きが途中で切れてしまうなどちぐはぐになっているため、人の流れが生まれにくい。
沖縄の多くの店は駐車場を確保しないといけないため、建物の前面に駐車場を作ったり、1階部分を駐車場にしたりしている。これだと店の存在に気がつきにくい。ふらっと入るという状況は生まれにくい。歩いて楽しいまちになっていないのだ。
現状の沖縄は誰もが移動しやすいまちになってはいない。車中心につくられたまちは高齢になって免許を返納すると買い物に行くのが難しい。学生は遊びに行くのにも高いバス賃を気にしないといけない。
「子どもにも優しい交通にしてほしい」。糸満市の高校生(16)はこう訴える。
石垣さんは「気軽に移動ができないというのは、権利が奪われているということ。公共交通の問題は『移動の権利』をどう保障するかの問題」と指摘する。
車依存による深刻な影響
公共交通の衰退、慢性的な渋滞、高齢者の交通事故の増加、県民の肥満度の高さ、観光への影響、二酸化炭素排出量の増加-。
沖縄県交通政策課の山里武宏課長は交通に起因する沖縄が抱える課題を挙げ、「公共交通が衰退すると県民の足がなくなる。過度に車に依存している現状を変えないといけない」と語る。
戦後、日本本土では国が鉄道を復興したのに対し、米統治下にあった沖縄では行われてこなかった。その代わりに公共交通の柱となったのは民間の路線バス。山里課長は「本来バスは長距離を走るものではない。駅から生活圏を結ぶもの。沖縄はバスで長距離を移動するから運賃も高くなり、運転手の労働環境も厳しくなる。階層的な公共交通が必要」と説明する。
拠点と拠点を結ぶ基幹バスや鉄道で長距離を速く移動する仕組みを作り、拠点から各生活圏へは路線バスなどで移動する。それを一体的なサービスとすることで乗り継ぎをスムーズにして利便性向上を図りたい考えだ。
県は現在、バスの優先レーンの延長や、バス民間4社を定額で利用できる新たな連携の在り方などを模索している。
将来的には鉄道の整備も?
沖縄県は長期的には鉄道の導入も求めている。政府が策定し今後10年間の沖縄振興の方向性を位置づける「沖縄振興基本方針」には「全国新幹線鉄道整備法を参考とした特例制度を含め、調査・検討を行う」との文言が初めて盛り込まれ、鉄道を含め、新たな公共交通の在り方を検討していく方針が示されている。
計画では南北に長い沖縄を縦断する形で鉄道を通す案が練られている。莫大な整備費用やその後の採算性など、クリアすべきハードルは多い。そもそも、完全に車社会となっている沖縄を鉄道が変えられるのかどうかも、現時点では未知数と言わざるを得ない。
一方で、沖縄を根本から変えうる可能性がある取り組みであることも確かだ。
「ここまで鉄道やモノレールが通ってくれたら那覇にもすぐに遊びに行ける」(うるま市の高校生)、「電車で通勤できれば、あっという間に会社に着く」(50代男性)と公共交通を抜本的に変えてほしいという声は根強い。
高校生は電車通学をし、観光客が鉄道に揺られて南国を旅する。日本復帰から次の50年で、そんな未来が来るのかどうか。
今日も車に乗りながら、考えている。
(玉城江梨子)
※この記事は、琉球新報によるLINE NEWS向け「沖縄復帰50年特別企画」で執筆したものです。
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