ちむどんどん第25話では、ついに比嘉暢子(黒島結菜)が東京へと旅立ちました。ジョン・カビラさんのナレーションが、1972年5月15日は沖縄の本土復帰の日であること、暢子の旅立ちの日が同日の朝であることを告げます。青空の下、那覇に向かうと思われるバスの中で、暢子は希望を胸に瞳を輝かせていました。
しかし、1972年5月15日、実際の沖縄の天気は雨でした。世替わりの日、沖縄は喧噪の中にありました。
その日、午前5時30分からは沖縄県警の発足式、午前6時からは第1回沖縄県議会臨時議会が開催されました。米施政権下の象徴だったドルから円に変わることを受けた「通貨交換」を警備するための本土からの機動隊が午前7時25分には那覇新港に到着し、午前9時から各地で通貨交換が始まります。
午前10時すぎには、那覇市の与儀公園で復帰に抗議する人たちのデモがあり、午前10時半からは那覇市民会館で日本政府主催の「沖縄復帰記念式典」が始まりました。式典会場周辺の道路は交通規制で渋滞し、県警は300人以上の警官を配備し、厳戒態勢を敷きました。テレビでは同時刻に東京の日本武道館で始まった「沖縄復帰記念式典」が映し出されていました。
午後2時から那覇市民会館で県主催の「沖縄県発足式典」が始まり、 午後3時半からは与儀公園で復帰協主催の「沖縄処分抗議県民大会」が行われ約1万人が雨の中集まりました。
1972年5月15日付の琉球新報夕刊は、復帰を迎えた沖縄の姿を「沖縄県-『通貨交換』『儀式』と『雨』でスタート」と表現しました。