沖縄の日本復帰から50年の15日。東京と沖縄をオンラインでつなぎ、県と政府主催の記念式典が開かれた。日米両政府が同盟の強固さをアピールする一方、沖縄側からあいさつした沖縄戦体験者や若者は、沖縄戦の悲惨な体験や平和の尊さを訴えた。変わらぬ基地の重圧の中で迎えた式典に、わだかまりを抱えたままの参加者も。「基地のない平和な島」という沖縄が望んだ形とは異なり、複雑な心情を抱えた復帰当時と変わらない50年後の現状。那覇市内では、沖縄や世界から基地や戦争をなくそうと県民大会も開かれた。
県民代表として式典であいさつした対馬丸記念会の高良政勝代表理事(82)は式典後の会見で「基地のない沖縄が平和な沖縄、理想の沖縄だ。(実現に向け)まだスタートラインにもついていない感じがする」と淡々とした語りに率直な思いを込めた。
復帰50年を振り返り、国土面積の0・6%しかない沖縄に国内の米軍専用施設の約7割が集中している現状が続いていることについて「食べ物や着る物など生活は変わったが、本質的には変わっていない。弱い者いじめなのではないかと感じている」と指摘した。
高良さんは4歳だった1944年8月22日、疎開のため乗船していた「対馬丸」が鹿児島県悪石島沖で米軍の魚雷攻撃を受け、両親ときょうだいの家族9人を失った。
対馬丸の犠牲者はこれまでに氏名が判明している1484人のうち学童が784人を占める。多くの子どもたちの命が奪われた悲劇を忘れないためにも、戦争で犠牲になるのは子どもなど弱い立場の人が多いことを若い世代に伝え続けている。
式典では、世界で起きている戦争によって多くの子どもの命や夢が奪われている現状について触れ、沖縄で受け継がれてきた「命どぅ宝」の思いを訴え、沖縄が世界平和の発信地となることを願った。 (嶋岡すみれ)
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