ちむどんどん第38話では、新聞を好きになろうと苦闘する暢子(黒島結菜)と、新聞記者の和彦(宮沢氷魚)が自社の目玉連載の執筆にチャレンジする姿が描かれました。物語冒頭で「僕にとって沖縄はライフワーク」と語る和彦が、これからどんな記事を手掛けていくか楽しみですね。
沖縄研究をライフワークとした代表的な本土出身の学者の一人に、民俗学者、国文学者の折口信夫氏(1887年~1953年)がいます。折口氏は、「沖縄学」という言葉を用いて、沖縄の信仰や祭、芸能など沖縄の文化を研究しました。1921年に初めて沖縄を訪れたときには、やんばるも調査しています。1936年、玉城盛重氏をはじめとする当時の沖縄の名優および古典音楽家を招いて、東京の日本青年館で「琉球古典芸能大会」を開催するなど、沖縄の文化や芸能を積極的に全国へ発信しました。
沖縄での研究の日々は忘れがたいものだったようで、沖縄戦後の1952年1月5日の琉球新報に、歌人としての名前「釈迢空(しゃくちょうくう)」の号で、フィールドワークの日々を懐かしみ、沖縄戦で亡くなった故人をしのぶ「干瀬の白波」と題した寄稿をしています。