【ちむどんどん第44話】鶴見の空襲 朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集【ネタバレ注意】


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読谷の飛行場を離陸するB29=1945年8月9日撮影(沖縄県公文書館所蔵)

 ちむどんどん第44話では、房子(原田美枝子)が戦前に両親を亡くし、「鶴見の空襲」でたった一人の家族だった妹も亡くしていたことが明かされました。暢子(黒島結菜)は房子の意外な境遇を聞き、驚きます。鶴見の空襲とはどのようなものだったのでしょうか。

 米軍の本土への空襲は1942年4月18日から始まり、横浜市鶴見区は1944年12月25日に、B29爆撃機による最初の空襲被害を受けました。米軍は1945年8月13日まで毎月、横浜市に爆弾を投下し続けました。空襲は多い月で4回行われ、中でも1945年5月29日の「横浜大空襲」は被害が大きく、直後の公式発表で、死者3650人、重軽傷者1万198人、行方不明309人、罹災者は31万1218人が出たとされています。

沖縄ではそのころ(1945年5月27日)、沖縄守備軍の第32軍(牛島満司令官)が、那覇市首里にあった司令部を放棄し、本島南部へ撤退を開始していました。


>>【まとめ】ちむどんどんキーワード集

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