【ちむどんどん第76話】暢子の琉装は見られるか 朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集【ネタバレ注意】


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琉装結婚式を執り行う挙げる男女=2010年、南城市のおきなわワールド

 ちむどんどん第76話では、暢子(黒島結菜)が和彦(宮沢氷魚)と一緒に、母優子(仲間由紀恵)に婚約したことを報告しました。優子は、2人に「琉装の結婚式をすること」と、「親としてはあれを言われたいさ」とお願いします。言葉の意味を察した和彦の「お嬢さんを僕にください」の言葉に、優子は「ふつつかな娘ですが、末永くよろしくうにげーさびら」と快諾するのでした。一方、和彦の母重子(鈴木保奈美)は「結婚は許しません」と反対。暢子の琉装姿が無事、見られる日はくるのでしょうか。さて琉装とはどんなものでしょうか。

ちむどんどんってどんな意味?

 琉装は琉球王国時代の人々を思わせる服装のことです。一般的な琉装の結婚式では現在、女性は沖縄の伝統的な染織技法・紅型を用いて染め上げた着物を着て髪を結い上げた姿、男性は黒の着物に大きな帯を締めてハチマチ(かつては官位を現した帽子)をかぶった姿で、執り行われます。

 ちなみに琉球王国時代末期の官僚・喜舍場朝賢が1912年に記した文書によると、琉球王国時代の首里や那覇の女性は室内で「胴衣(どぅじん・腰までの長さの上着)」と「裙(かかん・巻きスカートのようなもの)」を身につけ、家の門を出る際には単衣(ちーぢん・うらじのない着物)などを羽織っていたようです。

 また、伊波普猷は「琉球女人の被服」という1943年の論文で、和装が日露戦争(1904~05)後に流行し、幅の広い帯を用いるようになったと論じています。その上で「それから最近モンペが流行し、野良仕事などもそれをつけてやらなければならないようになっているが、これまた帯同様に耐えられないものであろう」と、常夏の沖縄で本土と同じ服装になっていくことに疑問を呈していました。


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