【ちむどんどん第97話】士族に三つの名前 朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集【ネタバレ注意】


この記事を書いた人 Avatar photo 瀬底 正志郎
命名札

 ちむどんどん第97話では、暢子(黒島結菜)と和彦(宮沢氷魚)が、和彦の母・重子(鈴木保奈美)に、暢子の妊娠を報告します。和彦の「(店の)名前はちむどんどん」という言葉を、孫の名前と勘違いした重子は、自ら考えた男女それぞれ20パターンの名前をしたためた用紙を和彦に手渡しました。暢子と和彦の子どもがどんな名前になるか楽しみですね。

 今は一つの名前が当たり前ですが、琉球王朝時代、沖縄の士族は名前を三つ持っていました。幼い頃からの童名(わらびなー)、日本の和名、中国の唐名(からなー)です。例えば沖縄の伝統芸能・組踊の創始者・玉城朝薫(1684-1734年)は、童名を「思五郎(うみごろう)」、唐名を「向受祐(しょうじゅゆう)」と言いました。

 中でも童名は、庶民も用いるようになり、沖縄戦前までその風習が色濃く残っていました。童名は、先祖が使っていたものを継ぐことが一般的だったこともあり、当時の人々は童名をとても大切にしていました。周囲の人々も親しみを持って、戸籍名とは別に童名で呼んだようです。

 ちなみに、那覇市生まれの彫刻家で、糸満市摩文仁の平和祈念堂にある平和祈念像を彫った、山田真山(やまだしんざん)さん(1885-1977年)の名前は、童名に由来します。真山さんは本名を渡嘉敷兼慎(けんしん)といい、童名は真山戸(まぁやまどぅ)といいました。


>>【まとめ】ちむどんどんキーワード集

▼ちむどんどんってどんな意味?

▼復帰前の沖縄、映画館と遊園地はなかった?

▼意味深な民俗学者の一言「19年の空襲で…」って?

▼「とうしんどーい!」って何? 沖縄県民には結婚式や旧盆でおなじみの曲

▼「まーさん」と言えば…ピンクと黄色のあのマーク?

☆琉球新報デジタルにご登録すると「ちむどんどん」の記事がすべて読み放題!!