「黒いのが降ってきた」息子が語った現場の光景 血の気が引いた母は<危険な空、今も・普天間第二小ヘリ窓落下5年>上


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子どもたちが体育の授業に臨む中、運動場上空を低空飛行する米軍CH53大型輸送ヘリ=12日午前、宜野湾市の普天間第二小学校

 運転中の信号待ちでのことだった。「落ちたのは前の前の車のところぐらい」。後部座席の息子=当時小2=の言葉に女性(43)は血の気が引いた。普天間第二小への米軍ヘリの窓落下事故から10日ほどたっていた。

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 事故当日、学校からの連絡メールで急いで迎えに行った。児童が集められた体育館から出てきた息子は落下現場の運動場にいたという。青白い顔をしていて何を聞いても「分からない」と繰り返すばかり。話してくれるのを待った。

 しばらくして語り始めた息子は「戦争が起きたと思った」と切り出した。窓の落下直後、担任が「逃げてー」と叫び、みんながいっせいに走り出した。「黒いのが降ってきた」。誰かが言っているのが聞こえた。何が起きているか分からないまま校舎に向かい、振り向くと砂ぼこりが舞っていたという。

 事故後も米軍機が学校上空を飛び、騒音をまき散らす。「不安は消えないし、薄らぐこともなくて」と語る。息子と2歳差の娘の小学校進学を機に教育委員会に校区替えを相談したが、受け入れられなかった。引っ越そうと物件を探したが条件が難しくかなわなかった。

 5年生になった娘が「(米軍機が飛ぶたび)うるさいんだよ。耳を押さえながら耐えている子もいる」と学校の様子を話してくれる。近くの職場で米軍機の音を耳にすると、授業中の娘を思い胸が苦しくなる。

 ことし提訴された嘉手納基地と普天間飛行場の周辺住民による行政訴訟の原告になった。11月の第1回口頭弁論で「平和な子育てができる環境ではない」と訴えた。

 「こんなにうるさいし、おかしくて不平等な環境なのに変わらない現状は何なのか」。絶望感にさいなまれることもある。子どものことを思い、訴訟にも加わった。「声を上げないわけにはいかない。子どもたちが安心して安全に学校で過ごすことは当たり前であってほしいから」

   ◇  ◇

 2017年12月、宜野湾市の普天間第二小に米軍大型ヘリの窓が落下した事故から13日で5年。学校上空を米軍機が飛び交う状況は事故当時のままだ。現状を変えようと訴え続ける保護者らの声を聞いた。 (新垣若菜)


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