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基地内の学校に通い、那覇のスタジオで学んだ10代 伝える魅力に目覚めて 小川深彩さん(映画監督・俳優)<夢かなう> 


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映画監督や俳優として活動する小川深彩さん=2022年11月29日、東京都の日本大学芸術学部(大城直也撮影)

 撮影当時17歳だった沖縄から来た少女が「全身全霊を込めて」描いたサスペンス映画が、審査員をうならせた。若手監督の登竜門とされる2020年の田辺・弁慶映画祭で、監督作「偽神(ぎしん)」が、公募された審査員が決めるキネマイスター賞に選ばれた小川深彩(みさ)さん(21)。21年には「偽神」を含む3作品が初めて大きな劇場で公開され、映画監督として歩み始めた。現在は日本大学で映画に関する学びを深めている。

 米国人の父と東京出身の母を持つ小川さんは、米ジョージア州のオルバニーという「田舎町」で生まれ育った。幼い頃から人前で歌ったり踊ったりするのが好き。6歳の時に地域のミュージカルで初舞台を踏み、「お客さんに何かを伝えることの魅力」に目覚めた。

 11歳で移り住んだ東京でも劇団に所属した。通っていた学校が合わず、いじめにも遭ったが「劇団のコミュニティーに助けられた」と話す。

 13歳だった2015年、父が米軍基地内の学校で勤務することになり、沖縄へ引っ越した。基地内の学校に通いながら那覇市の「スタジオパフォ」というスタジオでミュージカルを学び、テレビドラマ「オキナワノコワイハナシ」や自主制作映画に出演した。

 初めて映画を作ったのは16歳の時だ。出演した土田豪介監督の「Lost Sea」が東京の映画祭で上映され、懇親会で他の監督や俳優から「君も映画を作ってみたら」と言われた。「真に受けて」帰りの飛行機で初めての脚本「Fault Line(フォルトライン)」を書き上げた。

 基地内の麻薬問題から着想を得て、麻薬に手を出してしまう少女の物語だ。インターンをしていた映像制作会社の現場などで出会った人々の協力を得て、映画を完成させた。「台本も幼稚で演出もめちゃくちゃ。でも初めて自分の作品ができたという達成感はすごかった。人生が変わった瞬間だった」

(伊佐尚記)

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連載「夢かなう」

 好きなこと自然体で 幼いころに見た夢、学生時代に追いかけた目標、大人になって見つけたなりたい自分。一人一人目指す場所は違っても、ひたむきに努力する姿は輝いている。夢をかなえた人たち、かなえようとしている人に焦点をあて、その思いを伝える。

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