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養母・宇乃さんの人生 憎しみを愛に変えること 河瀬直美エッセー <とうとがなし>(15)


養母・宇乃さんの人生 憎しみを愛に変えること 河瀬直美エッセー <とうとがなし>(15) ポルトガルで見かけたデモ
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 『かたつもり』『天、見たけ』『陽は傾ぶき』は私をこの世界に生かしてくれた養母・河瀨宇乃さんの日常を描いたプライベートドキュメンタリー映画の3部作であり、彼女の生きた軌跡だ。1994、95、96年の作品であるから2023年現在、27~29年前の作品となる。先日ポルトガルのポルト映画祭でこれらの作品を含む初期作品九つを上映する河瀨直美特集を組んでもらった。

 宇乃さんが80歳を目前に控えた春。梅の咲く季節。奈良県は月ヶ瀬村の梅林に出かけた時の様子が映し出される。紅色の口紅をさして、ほんのり赤みがかった頰が持ち上がる。満面の笑み。なんて前向きに生きた人だったのだろうと改めて彼女の命の輝きを確認する。そんな彼女に比べれば、私はあれから倍の時間を生きてきたにもかかわらず、いつまでも成長がないと自らを省みる。

 子供のいなかった彼女は55歳から私を育て、97歳でその人生に幕を閉じた。この世界に残した最後の言葉は「おいしい」だった。夕食を食べ終えて、眠るように亡くなった。抱え切れないほどの「愛」をこの世界に残してくれた。68歳で夫を亡くした当時、私は14歳、まだ中学2年生だった。頼れる親戚もおらず、宇乃さんはたったひとりで内職しながら節約し、私を成人させてくれた。

 河瀨 宇乃さん

 決まったお給料をもらえるような職に就かず、映画作りに没頭し、反抗期がずっと続いているような行き場のない私の魂を丸ごと抱えて、彼女はそこにいてくれた。雨の日も風の日も春がきて夏がきて秋を迎え冬になってもそこにいた。たったひとり、質素な毎日に感謝しながら、私を待っていた。もっとお肉が食べたくて、大根と芋の煮物しか食卓にないとがっかりしたのに、今は、それを食べたくて食べたくて、仕方がない。甘辛く炊いた彼女の煮物。今では私の一番の好物。誰かと比べたり、何かを欲したり、そんなことをしなくても大丈夫だよと、ポルトガルの小さな老舗のシアターで彼女は笑顔で私にそう呟(つぶや)いた。世界に争いが消えてなくなってほしい。その笑顔が私に問いかける。

 シアターを出て、目抜き通りに差し掛かると、パレスチナからの移民だろうか国旗を掲げてデモ行進をしている人たちに遭遇した。ここはポルトガルのポルト。2023年晩秋の夜。ここから遠い東の端の国にいる8時間時差のある沖縄の皆さんが平和で笑っていられるようにと願っている。憎しみを愛に変えることができるのは自らの心にほかならない。映像は過去にあってもう無くなってしまったものを現在に蘇(よみがえ)らせることができる。何があってもひとりでそこにいて笑っていてくれた養母の笑顔を想い出し、子供のように泣きながら眠った。

(映画作家)