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「変わった子」学校なじめず 居場所なく自傷行為も <雨のち晴れ>第1部「あき社長の奮闘」(2)の続き


「変わった子」学校なじめず 居場所なく自傷行為も <雨のち晴れ>第1部「あき社長の奮闘」(2)の続き 小学校低学年の玉城あきさん〔提供)
この記事を書いた人 Avatar photo 吉田 早希

  >>>「ネガティブは伸びしろ」 暗く長いトンネル抜けて前向きにからの続き

 小学校に入学し、最初の体育の授業だった。1人で学校を抜け出した。担任やクラスメートが周辺を探すなど学校は大ごとになっている間、近くの商業施設で1人遊びに夢中になっていた。

 那覇市松山にある飲食店「琉球かさ屋」を経営する玉城あきさん(39)=宜野湾市出身=は、子どもの頃から集団行動が苦手だ。その後、何度か学校を抜け出したこともあり「変わった子」と見られ、友達はできなかった。同級生や他学年の子どもたちと交流できるようにと、家族は部活を勧めてくれた。行ってはみるものの、続かなかった。

 そんな孫の様子を見て、祖父は「なんでこの子は何もできないのか」と怒り、母親が何度も頭を下げて謝った。その光景を目にした時から、「自分のせいだ」と感じるようになった。

 「環境を変えたら状況が変わるかもしれない」という家族の考えもあり、受験を経て那覇市内の私立中学校に通った。1年生で高校入学までの学習が終わるほど授業スピードは速く、ついていくのが難しくなった。

小学校低学年の玉城あきさん(本人提供)

 授業中じっと座っていることすら苦痛だった。辞めたいと思うが、母親が頭を下げる場面が頭に浮かび「お母さんが謝らなくていいように、辞めちゃだめだ」と言い聞かせた。だがプレッシャーは増すばかり。同級生らとの意思疎通も苦手で、いじめられたり、いじめに加担したりもした。1年生の修了前から不登校になり、2年生の2学期前、自主退学した。

 心を落ち着かせる居場所がなく、次第に自傷行為をするようになった。心配した母親の勧めで心療内科に行き、カウンセリングを重ねた。複数の精神科病院にも通った。最終的にはうつ病や摂食障害、自律神経失調症と診断された。

 当時は発達障害の診断が今のように細分化されていなかったと感じている。「真剣に生きてきたつもりが、いつか治るからと“希望”を持たれた。よく理解できないまま自分自身を否定しなければいけなかった」

 睡眠薬と抗うつ剤を処方された。薬の効果でよく眠ることができる一方、眠気が長時間残り、朝起きること自体が難しくなっていた。


<メモ> 不登校 文部科学省が公表した2022年度の問題行動・不登校調査で、全国の国公私立小中学校で30日以上欠席した不登校の児童生徒は29万9048人と過去最多となり、10年連続で増加した。4割近くは相談や支援を受けられていないとされ、国や自治体は居場所づくりなどを急いでいる。県内の小中学校、高校を合わせた不登校者数は計6853人で、前年度調査より増加。小中の不登校者数は過去最多となった。

(吉田早希)

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