もろさわようこさんとの本格的な出会いは1979年、もろさわさんが講師を務めた琉球新報の女性史講座を、取材を兼ねて受講した時だ。もろさわさんは「沖縄の女性史は沖縄の皆さんが掘り起こさないといけない」と指摘し、受講者たちが継続的な学びの場として「沖縄の女性史をひらくつどい」を立ち上げた。
もろさわさんはよく「名のある一部の女性ではなく、暮らしの場にいる人たちが紡ぐ歴史が女性史の本流だ」と話していた。
彼女が掘り起こした沖縄の女性史は例えば、市場のアンマーや祭祀(さいし)をつかさどる女性だ。特に宮古島のウヤガン(祖神祭)では身を削って地域や社会の平和を祈る女性たちにとても感動していた。「あなたがこれからどう生きるかということが次の女性史になる」とも強調していた。私は生き方を問われていると受け止め生きる糧にしてきた。
もろさわさんは常に弱い人の立場から物事を見ていた。「虐げられてきた沖縄からは日本のゆがみがよく見える。よく見えるからこそ沖縄には日本を正す力があるんだ」と話していた。
長野、沖縄、高知に交流の場も立ち上げた。もろさわさんは「志縁(しえん)」という言葉をよく使ったが、志を持って活動する人たちがつながり、学び合いながら前進することを目指していた。
編集に携わった「沖縄ともろさわようこ」を存命の間に出せてよかったが、来年の100歳の誕生日をお祝いできなくなったことが心残りだ。晩年も「まだやりたいことがある」と話していた。「私も頑張ります」ともろさわさんに伝えたい。
(談、元ラジオ沖縄プロデューサー)