県系人の思い、今に
糸満中、移民の歴史学ぶ
10月30日の「世界のウチナーンチュの日」を前に、沖縄から海外へ渡った移民の歴史を通して自分たちの足元を見詰める授業が糸満市の糸満中で開かれた。社会の課題を「じぶんごと」と捉え、社会参加する力を育む授業を紹介する琉球新報と沖縄キリスト教学院大の共同企画「沖縄から育む市民力」は今月、沖縄や、先人の過去を知ることで社会に向き合う姿勢を育てる取り組みを紹介する。
「沖縄は私たちの誇りですよ」。5年に1度開かれる世界のウチナーンチュ大会に毎回参加しているという海外在住の女性が、その理由を聞かれて満面の笑みで声を弾ませる。
その様子を教室のモニターに映し出した後、内山直美教諭は「世界のウチナーンチュはなぜ、沖縄を誇りに思うのだろう」と生徒たちに問い掛けた。
この問いは、内山教諭自身が数年前、教師海外研修でブラジルを訪れた時から抱き続けている疑問でもある。現地の県系人は今も古いしまくとぅばを使い、沖縄そばを愛し、故郷からの教員たちを熱烈に歓迎してくれた。それは世界のウチナーンチュ大会などで知るハワイなど他の移民先とも共通していた。
移民先の県系人が沖縄を思う熱い気持ちと、沖縄が現地を思う気持ちの間にある大きな差。「なぜ世界のウチナーンチュは沖縄を誇りに思うのか」という疑問が生まれた。
この問いをはじめ、沖縄について学ぶため内山教諭は3学年を通したプログラムを実施している。昨年1年生では移民1世が大変な苦労をし現地での暮らしを立て、ネットワークを築いたことを学んだ。ことしの2年生では、生活を安定させたハワイの県系人が、戦争で焼け野原となった沖縄に食文化の柱であるブタを送ったことを取り上げた。
教室ではまず沖縄移民の歴史を振り返った。次に、山のような荷箱を前にした人々、船上のブタなど当時の写真4枚をグループに配り「これで紙芝居を作って」と内山教諭。「こっちの時代が古そう」「これ何ね。ブタを食べるの?」。生徒たちは写真をのぞき込み、自分たちなりの物語を組み立てた。多くのグループが想像したのは実際とは移動の方向が逆の「焼け野原の沖縄からハワイに移民した」という物語だった。
内山教諭は、沖縄の戦後の惨状をハワイに伝えた移民2世が残した言葉「島に人影なく、フールに豚なし」を紹介。それを聞いたハワイの県系人がお金や生活物資を集め、海中の機雷を避けながら船で3週間かけて沖縄に届けたこと、この出来事から70周年を記念する式典が先月28日にハワイで開かれ「海を渡った豚の日」が制定されたことなどを説明した。
冒頭の「なぜ」に、生徒たちからは「沖縄にしかないものがあるから」「試練を乗り越えて平和な沖縄をつくっているから」「祖先を敬う思いがあるから」などが挙がった。「海外のウチナーンチュのように沖縄の魅力を見つけたい」(崎山美陽さん、上原海歩さん)と自らに引き寄せて考えた生徒もいた。さらに県外出身で「沖縄の歴史を学び、沖縄を応援する気持ちが強くなった」(郷間ひかりさん)との声もあった。内山教諭は「1時間という限られた時間で生徒たちはしっかり向き合っていた。継続して学びを深めたい」と語った。
沖縄、自分ごととして
内山直美教諭
本土復帰40周年を迎えた2012年、県教委は復帰の歴史を平和学習と関連して学校での教育活動に位置付けるよう示した。これを機に、戦後沖縄にとって象徴的な日「4・28」「5・15」「6・23」「9・7」を年間を通して学ぶ特設授業を展開している。ここに「世界のウチナーンチュの日」となった「10・30」を昨年度から加えた。
沖縄は10人に1人が移民となった移民県だ。生徒にも海外在住の親戚や知人は多く、県系人の世界での活躍や現地での経験には関心を持ちやすい。また他の記念日と違って10・30は沖縄の人々の力や誇りが感じられる日だ。
移民にならざるを得なかった沖縄や日本の歴史を理解し、今も熱い気持ちで故郷を思う県系人を知ることは、自らのアイデンティティーを考え、社会を構成する「市民」であることへの気づきにつながる。一連の学びを通して、沖縄の課題の解決策を考えるようになってくれればと願う。
授業では教材集「レッツスタディ! 世界のウチナーンチュ」(沖縄県発行、2017年)を活用した。小学校低学年から高校生まで発達段階に応じた内容で、社会科以外でも活用できる。多くの学校に広がってほしい。
ワークシート
①指導案
②ワークシート
③実践アドバイス