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地雷で片足失った弟、通話中響く銃撃音… 在沖ミャンマー人の男性「故郷を知り支援を」 ミャンマー政変3年


地雷で片足失った弟、通話中響く銃撃音… 在沖ミャンマー人の男性「故郷を知り支援を」 ミャンマー政変3年 国軍が仕掛けた地雷によって左脚を失ったママサさん(仮名)の弟=2023年12月、ミャンマー(ママサさん提供、画像を一部修正しています)
この記事を書いた人 Avatar photo 岩切 美穂

 【南部】ミャンマーの軍事クーデターから1日で3年。民主化を求めクーデターに抗議した国民は国軍の弾圧を受け、若者中心に結成された「国民防衛隊」(PDF)が少数民族の部隊と連携して国軍と戦い続けている。国軍の攻撃で家族や知人が命を落としたり負傷したりする現状に、県内在住のミャンマー人たちは心を痛め、一日も早い民主化と和平の実現を願っている。

 現在、本島南部で働く30代男性ママサさん(仮名)は西部のラカイン州出身。2歳下の弟が東京で働き、両親やきょうだい6人がミャンマーにいる。ママサさんは7年前に技能実習生として来県しその後、特定技能の在留資格を持っている。

 ラカインでは昨年12月ごろから国軍の空爆が激化し、家や寺が全て焼失した村も多い。ママサさんの村も週3~4回は空爆を受けるため、住民は山などに防空壕を掘り、避難生活を余儀なくされている。物価も高騰し、食用油はクーデター前の2~3倍、ガソリンは30倍になっているという。

 9歳下の弟は国軍と戦う部隊に所属しているが、昨年11月、国軍が撤退前に埋めた地雷で左脚のひざから下を失った。弟がSNSで「脚1本になってしまった。死にたい」と送ってきた写真を見て、泣きたかった。「日本に兄2人がいる。働いて義足を買ってやるから、心配するな」と励ました。沖縄の技能実習生の仲間には、きょうだいが国軍の攻撃で亡くなった人もいる。

 両親らに電話するのは1~2週間に1回。通話中に銃撃の音が聞こえたこともある。昨年12月には、10代の妹が「怖い。お兄さんに会いたいけど、戦争で死ぬからもう会えないね」と電話口でつぶやいた。電話しても出ないこともあり、心配が絶えない毎日だ。

 両親に仕送りを続けるママサさん。ミャンマーの賃金は安く、日本の2日分が現地の1カ月分に相当する。「ラカインに帰りたいが、今は帰れる状況ではない」。思いをこらえ、あと2年は沖縄で頑張るつもりだ。日本人に求めるのは「知ること」と支援。「大変な状況を沖縄の人たちに知ってほしい。ミャンマーは貧しい国。他の国の支援が必要だ。1日も早く国軍が倒され、平和が訪れてほしい」

 (岩切美穂)